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バートルビー

 2016年5月、ゴールデンウィークのさなかに、私(たち)は、文学フリマ東京に参加した。ブースで、自分の本を売るのである。
 そのとき、私の本を購入してくれたひとに配布したのが、以下に掲載した短編、「バートルビー」である。A4の用紙に点線を入れて、折るとブックカバーになるようにエクセルを設定して、その枠内に収まるように小説を書いた。裏面は、「バートルビー」の作者、ハーマン・メルヴィルにちなみ、白鯨のイラストを入れた。イラストを描いたのは、妻くんである。コンビニに行って、ある枚数、カラーコピーした(安くはなかった)
 この作者がどんな小説を書くのか、来場者にわかってもらおうと、そのショーケースの作品になるようにとこころがけた。文学フリマが終わり、この小説は、その用途を全うした。
 その後、私の本だけを売るネット書店、めがね書林を立ち上げるにあたって、購入者のプレゼント用に添付したらどうかという意見があり、そうすることにした。文学フリマの購入者用に、消しゴムはんこを作成し、それをスタンプした、オリジナル栞も作っていたので、それもつけることにした。めがね書林購入者だけの、オリジナル特典である。
 それでこの小説は、用途は全うした。そのはずだった。
 それが、思いのほか、この短編が好評らしいのである。ネットでも、そんな評判をいくつか読んだ。本編よりも褒めているものもあって、それはそれでうれしいが、でも、作者としては、複雑な気分なのである。
 以下が、その「バートルビー」である。文学フリマ時は、A4という制約もあって、最初に書いた作品から言葉をけずったが、それを戻した。さらに推敲した。

 「バートルビーから、攻撃を受け始めたきっかけは、いったい何だったのだろう?」という文章からこの小説は始まり、「お気づきになりませんでしたか?」で終わる。1分で読めます。これが、緒真坂という作者です。ご覧あれ。

                *

 バートルビーから、攻撃を受け始めたきっかけは、いったい何だったのだろう? ある日、私のスマホの留守電に見知らぬ若い女から声が吹きこまれていたのだった。バートルビーは、私の名前を告げ、私の日々の行動を逐一、報告していた。
 背中に大きな氷の塊を押しつけられたような気がした。
 見知らぬ女子からの電話。そして、すくなくとも、私の名前と、私のスマホの番号を知っている。
 でも、どうぜいたずらで、放っておけば、やがてこの攻撃は収まるだろう、と思っていた。なぜなら、どれほどの強い怒りを持っていたとしても、怒り続けるには、それ相応の理由と、体力が必要だ。理由はまったく思い当たらなかった。アラフォーの、大して美人でもないOLの私に、膨大な手間と時間をつかって、一日じゅうつけまわす価値があるとは、まったく思えなかったのである。
 だが、バートルビーの攻撃は、なかなかおさまらなかった。私の行動をどこかで秘かに見張り、それをわざわざ報告する。ストーカーのように。同性だから、ストーカーという言葉は、適当ではないかもしれないが、ファナティックに、フェティッシュに私をつけまわす。つきまとう。
 相手はザブンと海面から波しぶきをあげて、すがたをあらわさない。巨大な白鯨の影のようだ。「白鯨」の白鯨もそうだが、この白鯨も、凶悪で、凶暴だ。言葉も通じない。
 ところで、バートルビーというのは、私がつけた名前である。
 見知らぬ女は、名乗らない。
 「白鯨」の著者、ハーマン・メルヴィル「書写人バートルビー」を思い出したからである。その短編は、根源的に不条理で、意味不明な人物を描いた小説である。バートルビーは、ある日、ゆるやかに拒否を始める。仕事をすることを、事務所移転を。拒否し続ける。そして刑務所に連れていかれ、最後は食事をすることさえも拒否して、死んでいく。
 人間の行動など、根源的にそんなものなのかもしれない。この女はまさしくバートルビーだ、と思い、私は、バートルビーと名づけたのだった。
 友だちには相談できない。こわすぎる。なぜなら、その友だちがバートルビーとつながっている可能性があったからだ。つながっていないとも限らなかったからだ。私の友だちを通じて、私の情報を得ているかもしれなかったからだ。
 日々の行動をスマホの留守電に逐一報告する、という攻撃が三か月過ぎたころ、私はさすがに精神的に消耗しきった。最寄りの警察署にいって、相談することにした。
 証拠なら、録音がある。これなら警察も本気で、取りあってくれるだろう。
 私のスマホの留守電の声を聞いた警察官は、ことなげにいった。
「ん?」
「え?」
「あなたの声ですよ。あなたは、一日のできごとを吹き込んでいるのです。備忘録のように。お気づきになりませんでしたか?」

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