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はじめての老い -人間ドックの見え方が変わった話-

ついこの間、人間ドックに行ってきたんですよ。初めてってわけじゃなくて、毎年行くようにしていたんですけど、コロナでちょっと間隔があいてしまって。この「はじめての老い」を書き始めてからははじめてです。

あ。そのまえに。
この原稿は編集者のわたくし伊藤ガビンが、老いの初心者マークがついているわたくしが日々感じている「老い」について書いているメモのようなものです。過去の原稿はマガジン形式でまとめているのでこちらからどうぞ。

さて。
このシリーズを書きはじめてからというもの、いろいろな人から天気の話題のように「老い」の話題を振られ、本や論文を紹介され、「老い情報」漬けなんですね。生活の中でもそうした情報に目がいくようになり、いつのまにやら「老人マインド」が私の中に急速に育ってきております。そんなわたくしが人間ドックに行くわけですから、予約の段階から「老人マインド」なわけです。昨日までの俺とは違うぜヨボヨボだぜ。と。

そうしたらですね、これね「老人マインドで人間ドックを受ける」ということがね、予想以上に違いましたね。同じ人間ドックというサービスがですね、まったく違う体験に感じられた。そのことを今日はメモしておきたい。ただこれ説明するのは、それなりにややこしいです。
ひとことで言うなら、どうしよう。
「病気が見つかる」ってことの立ち位置が、ちょっと不安定になった。
みたいなことでしょうか。

順を追って書いてみます。
まず、30代40代あたりで人間ドックに行った時の気持ちは、私の場合は油断してましたね。あまり病気の心配をしていなかった。ただ検査なのでそれなりに
「なにも悪いところがなければいいなあ」
「この胸やけの理由がわかるとよいなあ」
とか、薄い心配はするわけですが、あくまで薄かった。
「なにも悪いところが見つからない」=大勝利
なわけですよね。

しかし「老人マインド」で考えると、ここが少し不安定になりますね。
例えば「がん」という病気がありますね。
2019年の統計で、日本人男性が一生のうちにがんと診断される確率は65.5%とのこと。かなりの確率ですよね。不摂生に不摂生を重ねて生きてきた私が「がん」にならないわけがない。父親も「がん」をやりました。
もともと、いずれ「がん」にはなるんだろうな、と思って生きてきたところがある。60歳を過ぎたらがんの罹患率は「昇龍拳!」と叫びたく勢いで増えていく。
最近は、ずっと愛聴してきた少し年上の音楽家の方々が次々と逝去され、いよいよ他人事じゃないじゃないな、と感じはじめた。さらに身近な同年代の友人にメールしたところ、「がん」の報告がありました。
メールの最後には
「ガビンさん、ちゃんと健康診断してる?」
とも書き添えられていた。
つまり「いつかはきっとがんになるんだろう」から「いつみつかってもおかしくないな」というように、距離感が変わったんですね。

そうした気持ちで人間ドックを眺めてみると、景色が変わります。
「がん」にいつかなるならば、それは初期の段階で見つけられるにこしたことはない。そして初期の段階で見つけられるというチャンスは、人間ドックじゃないですか? 不調を感じて検査するよりも、初期に見つけれるチャンスがある。

そう考えると、これから毎年人間ドックを受けるとしたら、どの年かわからないですが「見つかる」回が来るわけですよね。10歳くらいしか年の離れていない先輩たちが闘病しているのを見ると「ここから10回くらいの間」にその回がやってくる確率は高い。
いや〜、これはどういう顔して臨めばいいんだろう?
早期発見を願って「今回、こい!」は違う違う。絶対違う。

まあ、しかし早期に見つけられる可能性を高めておくしかないですわなあ。
というわけで、今回は父親がかかった部位の「がん」のマーカーや、胃カメラのオプションをつけました。このオプション料金もバカにならないので、なんでもかんでもつけるわけにもいかないのだけれど…。

今回、訪れた人間ドックは初めての場所。胃カメラもはじめて。
私は怖がりなので、これまで胃カメラは避けてきてしまったんだけど、諸先輩方の「胃カメラ飲んどけ」の助言に従って、お願いしてみた。
最初に今日のメニューについて話してくれた先生は、えらいくだけた人で、
「え、胃カメラはじめてなの? あー。でも最近は細くなったから。先端のカメラでもこのくらい。いままではバリウム? バリウムかあ、胃カメラに比べたらあれ『影絵』やからね」
いきなりバリウムに対してマウント取ってきたので笑ってしまった。影絵て。

胃カメラについては、聞いていた以上に苦しくて、なかなか喉を通らせることができませんでした。涙は出るわ、鼻水は出るわ、よだれはでるわ、看護師さんにずっと背中をさすられてるわ。
「胃にガス入れるので、しばらくゲップがまんしてくだいね〜」
と言われたそばから人生最大級のゲップをしてしまった。いやがまんの仕方がまったくわからなかったんですよ。ごめんなさい。

そんなわけで胃カメラという体験に対する今の感情は「二度とやりたくないわ」なんだけど、目の前の置かれたモニターに映し出された俺の食道や胃の中の非常にクリアな映像を見てしまったいま、次回を「影絵」に戻す選択肢もないよなあ〜と思っています。来年に人間ドックをうけることには、喉元すぎれば熱さ忘れてるのでしょう。胃カメラだけに…。

子供に対してつい「いいよなあ、これからどんな職業にもなれるし、どんな勉強もできて」みたいな感情が湧くことがあります。子供自身も「これから」に対して永遠の時間を持っているかのようなことを言う。大人は時間は限られていることを知っているかのようにものを言う。
だけど、大人も小さい「永遠」という誤解を持っているような気もしますね。30代40代に人間ドックを受けた時の自分は、自分の健康状態を終わりのない時間の中に位置づけていた。あと何回人間ドックを受けるかなんて考えたことなかった。
でもいまはそれが「数えられる」ようになってきた。
両手両足の指の数くらいに近づいてくると、数えられる=見えてくる、ようになるのかな。
新鮮です。

で、人間ドックの結果ですが、実はまだもらってないのです。データを貰ったらなにか書くかもしれないし、シリアスすぎて書けない可能性も十分にあります。こわい。


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