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[朗報] 時間が経つのは年々それほど早くならないのではないか、という話

題字:タナカカツキ

うわ、ついこのあいだ新年が明けたと思ったのにもう3月。やばい。これはやばい。致命的にやばい。
なぜやばいかというと、今回「時の経つのは言うほど早くないよね」ということを書こうと思っていたんです。なのにあっちゅう間に3月。なんてことでしょう。これではこれから書くことにまったく説得力がない。
しかし……もともと説得力があったのか? というと、あるわけがない。あったためしがない。矛盾に寛容になるのが老いのよいところ(なんでも老いのせいにしていくぞ)。気にしないで書いていきたいと思います。
存分に老けて老けて老けまくるいく所存です。老けるゾー、オー!

ナレーション:このシリーズは、永遠の老いの初心者である伊藤ガビンが、気づいたことを忘れる前にメモしているものです。

さてこれ、もともと新年早々に書こうとしていたものなのですが、正月が来るたび、思い出すのが一休禅師の「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という狂歌。これ初めて知ったのは子供の頃だと思うんだけど、びっくりしたんですよねえ。おめでたいとされる新年に冥土の旅と水をさす逆張り精神、に続けての、めでたくもありめでたくもなし……の放り投げ感。これはよいものだと思いました。自分の趣味に実にフィットする。というわけで年が明けるたび、この狂歌を思い出し、また一歩冥土に近づいたな、ジーン、としてるわけです。新年という区切りはそういうことを感じさせてくれるので好きです。毎日がお正月だったらいいのに。

一年の濃さとナンブンノイチ説

年末年始は、一年を振り返ってみたりするタイミングじゃないですか(もう3月だけど)。
20代後半くらいからは、一年が終わってしまう瞬間
「やばい、どんどん時間が経つのが早くなる」
と、焦ったりするんじゃないですか?
どんどんどんどんどんどんどんどんどん歳をとるごとに早くなりづつけていく!  一瞬で終わってしまう! とね。

でも、老いの初心者かつ若者から見たら老いのパイセンこと私はですね、どうもそうじゃないんじゃないかな〜と思い始めているんです。
「歳をとるごとに時間が経つのが早くなる」
私も、ずーっとそう思い込んで生きてきたんですが、振り返ってみるとですね、どうも、35歳あたりからは、言うほど早くなってきてないんじゃないか? と。
いやこれ「振り返り」だからかもしれない。その時は、めっちゃ早くなってきてる!と思っていたかもしれません。

でも振り返ると、ど〜も世間で言われてるほどには早くなっていってないなあ、と思うんです。35、40歳くらいからはあんまり早くなっていない気がするんですよね。当事者の人たち、思い当たったりしませんか?

歳ととると時間が早くなる理由について、何も調べていませんが、よく耳にするのは
「そりゃ10歳の1年は人生の1/10の濃さがあるけど、40歳の1年は1/40だよね」
というやつですね。ジャネーの法則っていうんでしたっけ。ジャネーの法則は、よく考えると全然正しくないと思っているのですが、でも大雑把な感覚としては、まあ、わかりますよね。この感じ。

で、これを真に受けてみると、
10歳と40歳の1年の濃さは、4倍くらいの差がありますね。
次に同じ30年差の40歳と70歳は1.75倍の差なんですわ。緩慢。
40歳と41歳の差なんて、1.025倍なので、もう老眼的解像度では差が見えないです。
だからこの説でいうと、毎年どんどん! てことはなくなる。せいぜい、毎年だんだん、じゃないすか? 「どんどん」じゃなくて「だんだん」て、どっちでもええわ、という気もしますけど。
でも、違うんですよこれ。
うわッ、去年と比べてめっちゃ早い! ということはなくて、
「例年通り今年もめっちゃ早いですなあ〜」という大人の落ち着きがある。
もうね、ずっと早いの。だから驚かないですね。
窓から見える樹木の葉っぱが黄色くなってきましたなあ、とお茶をすするように、今年も時間が経つのがめっちゃ早いですなあ、という。焦りはない。

差分の大きさ

まあ、しかし「一年の長さ」って「こういうもの=生きてきた年数」だけで決まるわけじゃないですよね。年をとっても、多少は長かったり、短かったりする。
自分史を振り返ってみると、年ごとの情報量の違いが大きく影響しているんじゃないですか? 例年との差、去年と今年の差。差分の大きさが、過ぎ去る時の速度を決めるんじゃないかと思うのです。
思い出して欲しいんですが、例えばコロナの影響で世界中の人々の生活が激変した2020年ね。コロナ元年。あの年は長かったな〜と思う人は多いんじゃないでしょうか。わたしもめちゃくちゃ長かった。職場が閉じ、店が閉じ、これいつ終わるんだ? と思ったあの日々。

私はといえば、コロナの2020年はもちろん長かったですし、翌2021年は長く過ごした東京を離れ京都に移住したので、この年もめちゃくちゃ長かった。新しい情報が山ほどある時は長く感じませんか。転居、転職、移住、家族が増えたり、失ったり。忘れがたいことがあると、1年はビヨヨンと伸びる。「長い」時には「思い出すキッカケ」がたくさんあるんですよね。
一方で、毎日を「引き続き」「引き続き」で暮らしていると、時は短い。毎年、毎年、毎年、同じように過ごすと、その通過スピードは限りなく上がっていくような気がします。

ですから、時間が高速度で過ぎ去るのが嫌ならば、どんどん新しい体験をしたらよいのではないかと思います。

早く過ぎる時間もいいもんだ

もうひとつ考えておきたいのは、時間があっという間に過ぎることは、別に悪いことでもないよね、ってことですね。
時間があっという間に過ぎること嘆く時そこにあるのは「ああ、何もできなかった!」という焦り? 理想とする「この一年の充実した体験、仕事」があり、そこにまったく達していない時には、そりゃあ焦りますよね。30代で家を買おうと思ったのに貯金ゼロや、とかね。研究の進捗、英会話などのスキルの向上など、一朝一夕に達成できないものを1年という単位で振り返ってみたりすると、できていなさにやたらと焦る。

でも、焦りにも賞味期限があるような気がします。
焦り自体が、だんだんと力を失って、消えていってしまう。
老いを感じて焦ることもあるけれど、同時に手放せる希望や欲望も増えてくる。定年あたりで、気分が自由になって新たな希望も生まれるでしょうが、「いつかはやろう」みたいなことが薄くなって存在感を失っていく。悪くない悪くない。

老いそのものも、それに伴う感覚の変化は、きっとなにか生き物としての利点があってプログラムされていると思うんですよね。その利点は当事者になって初めてわかることなのかもしれない。


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