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老いについての初心者として

                        題字:タナカカツキ

こんちは。編集者の伊藤ガビンです。
いささか唐突ではありますが「老い」について書いていきたいと思うんです。なぜかといえば「日々老いていきまくってる」からですね。老いに勢いがある。自分の中の「老い」が元気すぎる。やたら活発に老いていってる。
刻々と新情報がもたらされる(私の体からですよ)ので、意識せずにいられないのです。
「老いコンテンツ」なんて、供給過剰だろうと思うんですよ。もういらんやろと。しかし実感としては、まだまだ書かれていないことがたくさんある。それ先にに教えておいてよ〜って日々思っているわけでありまして、自分用メモ的にも書いておかねば、という気持ちであります。過ぎ去ると忘れてしまいますからね。
ちなみに当方59歳であります。老いについては以前より、いつか書きたいなと思っていたのですが、書き始めるタイミングがいまいちわからない。50代で老いについて書くなんてちゃんちゃらおかしいと思われやしないかと。でもですね、「老いには終わりがないので、常に初心者としてしか書きようがない」ということに気付きまして、若輩者ですが書かせていただこうと思ったわけなんです。

老眼にとって電子書籍は本当に役に立つのか?

さていくぞ。
最初のお題は、ド定番の「老眼」についてです。
老眼て、40代あたりで最初にキますでしょう? 多くの人にとって、老眼こそが最初の老いの自覚ということになるのではないでしょうか。
僕もそうでした。
いやしかしね、老眼について、これ誰も教えてくれなかったことがあるんですよ。

まず最初に「老眼になっても電子書籍があるからオッケー神話」についてです。電子書籍が登場した頃、さかんに喧伝されたわけです。文字の大きさを自在に変えることができる電書は、老眼になった者にとっての福音じゃー!という。私もこれ確かに確かにと膝を調子よくポンポンと叩いて余裕をこいていたわけです。いい時代に産まれたと。センパイ諸氏の悩みが私にはないのだ、テクノロジー萬歳とね。

で、実際に老眼になってみて、電子書籍を立ち上げる。フォントをでかくする。おお、読める。よかった、よかった。ってなったんだけど、だんだんと、これは……ちがうのでは。読めるんだけど、読めるけどなんかちがうぞ。読める……けど、読めりゃいいってわけじゃねええんだよおおおおおおおっていう。気分になってきました。

説明しましょう。
老眼になると近いところに焦点を合わせずらくなります。つまり手元にピントがこない。ボケた状態になって読みづらい。小さい文字に至っては、腕をぐい〜と伸ばしてみても、目に死ぬほど力をいれてみても、読むことができない。

というわけでスマホでKindleなどを立ち上げまして、フォントの拡大機能を使って文字をでかくします。一段回大きくしてもまだ読めぬ。もっと大きく、もっともっとと十分にでかくすると……おお!読めるぞーってなるわけなんですけども、あの〜、依然として焦点は合ってないんですよね。ボケてるんスけど。
すなわち、電子書籍の文字を大きくして読むという行為は、ボケたでかい文字を読む、という行為に他ならないわけです。しんどい。

左:読めへん。右:拡大して読めるがピンボケ。のシミュレーション之図

これは、これでたいへんストレスがたまる。さてどうしよう、ってわけですね。

もちろん小洒落た言い方であるところのリーディンググラスこと老眼鏡を手に入れました。
私は普段はメガネが鬱陶しいのでコンタクトレンズを愛用しているのですが、コンタクトしたまま老眼鏡で近くを見るというスタイルですね。つまり裸眼と本の間にレンズが2枚もあるわけで、本が遠くなったな〜と寂しい思いを持ちながら読んでおります。
さてしかし、ここでもあらたな問題が。

メガネのUIの矛盾

私は、コンタクトを目玉に突っ込んでいない時は(例えば寝起きとか)は、コンタクト使用者の多くがそうであるようにメガネを使っております。
いままでメガネはこの一種類しか存在しなかった。
だから
「遠くを見たい→メガネをかける」
という行為がとても自然。とてもスムーズ。ストレスフリー。

これ目がいい人にはわかりにくいと思うんだけど、ここはまではOK?

で、ここにコンタクトをしてる時に老眼鏡をかける、という新たな状態が出現したわけです。つまり
「近くを見たい→メガネをかける」
という状態。これ自体はOK。慣れればストレスなさそうだ。

だけど、
「遠くを見たい→メガネをかける」
「近くを見たい→メガネをかける」
を一日の中で使い分けるのはムリじゃないですか?

「さて本を読むか」と思った瞬間に、考えることなく行動が始まりますよね。その時に、

1:コンタクト使用時→メガネ(老眼鏡)をかける
2:普通のメガネ(近眼用)使用時→メガネははずす(と近くが見えるから)
この使い分けはちょっと〜〜〜、現場のこと考えてないんじゃないでしょうか〜〜〜。現場って私の脳内のことですが。

裸眼で本を読もうとして近眼用メガネをかけてウッとなったり、コンタクトに老眼鏡をかけている状態でおもむろに本を手に取りメガネをはずしてゲッみたいなことが頻繁に起こりまして鬱陶しいったらないんですよ。
古いパソコン触ってマウスのホイールをくりくりやった時にブラウザのスクロール方向が逆の時ウッとかゲッとかチッていうじゃないですか。アレです。猛烈に鬱陶しいんですよ。みんなどうしてるんだろう。

インターフェースの統一へ

というわけで解決策を考えました。
まずインターフェースを統一ですな。

具体的にはコンタクトレンズの度数を下げたんです。
老眼ていうのはピントのあう範囲が狭くなるわけですが、その焦点距離を近〜中距離にしたわけ。手元は見える、パソコンも見える、生活に不便はない、車や自転車を運転するにはもうちょい見えたいくらいの焦点距離にしたわけです。そしてコンタクトのまま遠くが見えるように度数の低い眼鏡を作りました。
つまりそこそこ近眼という状態をわざわざ作った。コンタクトをはめることで、ド近眼をそこそこ近眼に矯正したんです。
老眼鏡は捨てた。ライトな近眼となってコンタクトしたまま近場が見えるようになった。遠くは見えない。遠距離を見るために、度数の低いメガネを新たに作った。
これによってインターフェースが
「遠くを見たい→メガネをかける」
に統一されたんです!!!!!!
ぃやった〜〜〜〜〜〜!!!!!!

実際には
裸眼=超近距離しか見えない → メガネ=中遠距離が見える
度数を下げたコンタクト=近-中距離が見える → メガネ(度数の低い)遠くが見える
という関係で、中距離を見る時にはメガネなし、あり、の状態があるんだけど、それはまったく問題にならかった。それよりも、
「遠くを見たい→メガネをかける」
の統一によるストレスの軽減のほうがよほど大事なんです。
しかも本にはピントがくっきりと合っている。くっきりした文字を読むと、非常に楽。ボケた文字を読むためには、脳内にそれを処理するプロセスが動いているので、文意が入ってこないんですよねー。
ってことで、とりあえず! 現時点での〜、読書環境はほぼ整った!!
よかったよかった。

まあ、メガネもコンタクトも遠近両用にするとか、手術で目玉にレンズを埋め込むとかですべて解決しそうな気もするわけですけどもね……。

ほかにも老眼に関して、日々感じていることはいろいろある。
特に読書に関しては
・光量の影響で見え方が違う。デスクライト問題。
があり、ほかにも
・老眼は2段階でひどくなった。もう1段階来るのか?? 恐怖!!
など、他の話もあります。
ここらへんもまたおいおい書いていきたい。老いだけに。

第2回では、痩せゆく歯ぐきの話を書いています。
こちらからどうぞ。


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