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芥屋
朝、旅館傍の漁港を散策。
天気が良いので、とても清々しい。既に堤防には釣りを楽しむ人の姿があった。
漁港というものは一種、独特であると思う。人工物であることに間違いはないのだが、自然と一体化しているように感じる。田舎の方は特にそうだ。単純に海=自然という想起を誘発しているだけであり、”漁港”というものが特別な雰囲気を醸し出しているわけでもないのかもしれないが、何ともいえず、一体的に感じる。
自然という感覚は、単に草木や海や川といった”人工物でない”ということのみによって誘発されるものではなく、”人為的でない”という意味合いがあるように思う。たとえ、そのものが人工的な創造物であったとしても、そこに何も意図がなければそれは自然であると感じるのではないだろうか。
朝、散歩する漁港には何も意図を感じない。ただ、波の音と静かさがあるだけで、海が作り出すルールに従っている。そして、それは自然なのだろうと思う。
自分の生き方を”自然”にできるか。意図を持たずに生きるとは何か。
漁港と海の関係のように、そこに確かに存在しつつ、より大きな存在に完全に身をゆだねる。受け入れる。そういう生き方もあるのかもしれない。
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