「苦しい」は必要か

「艱難汝を玉にす」、「苦労は買ってでもしろ」、「仕事は雑事ではなく、人格形成の手段だ」と言った考え方は、いまでも私を形づくる大切な一部です。

実際、20代は苦しくないと怠けているような気がして、不安になりました。働き方も今から考えれば、恐ろしいのですが、終電まであとどれくらい時間があるか気にしながら仕事をしていました。

土日もどちらかは必ず仕事をしていました。こうした働いている時間の長さは自分に自信と怠けていないという安心感をくれました。

30代になり、子供を授かり、ゆっくりと人生に対する捉え方が変わってきました。

今は、冒頭の考え方も維持しつつ、こうも考えています。

「苦しむことより約束した成果をだす」、「取り組むべき対象を絞り、苦労をシンプルにする」、「時間に逃げない」

子育て、世帯主としての社会とのつながり、会社での役割、人生の終わりを見据えた自分らしい生き方など大切にしなければならない要素が増え、自己満足なだけの苦労はもう卒業しなければいけないのだと気付きつつあります。

一方で、20代の過ごし方があったからこそ、今があるとも思います。人生において本当に大切なものが何か知るためには、フラットに物事をみる目が求められますが、無意識に苦労を避けるような態度では、安易な道ばかりを選びかねません。

自分は、苦しみを受容でき、克服できるという感覚があるからこそ、プロセスの難易度ではなく、自分自身にとっての意義によって対象を評価できます。

今、非常に苦しい状態にある方もいらっしゃるかと思います。軽々にものは言えませんが、その苦労は必要なものかもしれません。そして、自分にとって本当に引き受けるべき苦労を見極める目を与えてくれるかもしれません。

また、苦しみすぎているのであれば、少し、シンプルにすることを考えても良いかもしれません。どうか、自分を大切にしてください。


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