レポート | 訪問診療。いま、自分ができることを重ねて
いとちプロジェクトの小林歩記です。今年春に開催された「いとちツアー」で、医学生に混じり訪問診療に同行しました。医学を学んでいるわけではない法学部の私が訪問診療に同行するというのは、とても珍しいことかもしれません。
訪問診療は、病院へ通院することが難しい患者さんの自宅に、医師や看護師が定期的に訪問して診療するサービスのことです。患者のお宅の中まで入って診察を行うため、外来の診察よりも生活背景を把握しやすいということが特徴として挙げられています。
かしま病院に限らず、訪問診療を導入している病院では患者さんのお住まいでの会話を大切にしているようです。かしま病院の場合も、医師、看護師が一人ずつ入ってチームを組んでいますが、場合によっては、普段の生活の様子について聞く専門のスタッフが同行するケースもあるようです。
暮らしの目線で患者を診る
私が同行したのは、中山文枝先生と看護師の山口ひとみさんの訪問診療チーム。患者さんの自宅に向かう途中、文枝先生がさまざまな情報を共有してくれます。病名、治療方法とその理由、生活状況、さらにはコミュニティについての解説もありました。患者さんの病名だけでなく、病気を構成する様々な要素に目を向けていることに、改めて驚かされました。
車中で交わされる文枝先生と山口さんの話は、患者さんを介助する家族との関係性、家庭の経済状況などにも及びます。医療の情報交換というより、町でばったり出会って世間話した時にぽろっとこぼれてくる悩みの話のように感じられ、お二人が想像することの範囲がとても広く、暮らしに密着していることがわかりました。
なぜそこまで患者さんに迫ることができるのか。文枝先生に聞いてみると、血圧測定を具体例に、こんな話を教えてくれました。
「日々の血圧測定はご家族がやることになってるんだけど、毎日行うのが難しいって場合もあるよね。でも、そんな時には、なんで測定しないんですか! ってことじゃなくて、測定に至るどの部分で躓いてしまうのかをご家族との会話の中で理解しようとしているの」
ご家族の努力不足だ、ということではなく、その人が置かれている状況を知ろうとする。それが文枝先生たちのスタンス。話を聞くことで、ご家族の背景も見えてきます。もしかしたら親以外にケアしなければいけない人がいるかもしれない。相手の話を聞こうとする姿勢が大事だと感じました。
また、文枝先生も山口さんも、患者さん家族が話しやすいような工夫(声のトーンを明るくしたり)を行っていることに気がつきましたし、さりげなく患者さんのいない場所で、ご家族の悩みを聞いているシーンもありました。患者さんのご家族は、いわば支援者という立場。だからこそ、自分の悩みについては話そうとしないことが多いようです。
病気の家族を気づかって自分の意見を言わない方、家族間の関係性について悩んでいる方、病気を患っているご家族に薬を定期的に飲むことを催促するのが難しいと感じている人もいるでしょう。患者だけでなく、家族にも目を向ける。それが訪問診療なのかと気付かされました。
同じ地域に生きる者としての共感
そもそも、初対面の私たち学生を家に上げることを承諾してくれていること自体に、訪問チームがこれまで築いてきた信頼関係の強さを感じます。相手の背景を考慮するだけでなく、同じ地域で生活する人としての目線、敬意があるようにも感じられました。
あるお宅に、ビーズを使ったアート作品が飾られていました。患者さん自身が制作しているものだそうです。家にあったのは作品だけではありません。沢山のビーズ、キャラクターの下絵…。それらは、その家で暮らしている患者さんとお母さんにとって大切な日常の景色なのだと実感できました。
文枝先生と山口さんは、誇らしそうな顔で作品の話をしている患者さんを見つめていました。ふたりとも「すごいよね」「上手だよね!」といった言葉をかけていて、患者さんの日常を尊重する姿勢が現れていた気がします。
文枝先生も山口さんも、患者さんと患者さんの周りにいる人たちの「日常」や「暮らし」を尊重していました。患者さんが大切にされているものに対して関心を抱き、大切に思っているものを、同じように大切に思う。暮らしを理解しよう、共感しようと努めていることがわかりました。
一方、大げさに驚いたり、いちいち細かな質問はしません。私は、患者さんの家にあるさまざまなものを無理やり意味づけようとしてしまいましたが、訪問チームは、日々見ている当たり前の光景に関しては特別視することなく、「これが彼らの日常なんだ」と受け入れているように見えました。
共にその土地に暮らす人だからこそ、当たり前にある景色を共有できる。地域の歴史や風土を知っているからこそ、地域住民の日常を尊重することができる。同じ「生活者」としての視点があるからこそ、彼らの日常を受け入れることができる…。それは、「医療職」としての視点だけではなく「同じ土地に暮らす生活者」という視点があるからこそ取れる姿勢であり、だからこそ地域住民の方から信頼を得られているのではないかと感じました。
医療職が担うのはどこまでなのか
文枝先生から、学生という見知らぬ人をご自宅にあげてくださったご家庭は精神的に余裕がある患者さんご家族であると教えてもらいました。解決の兆しがなかなか見えないような方は、イライラしていたり、自身の症状を細かく伝えるだけの労力がないくらい疲れ切っていたりすることもあります。
相手の背景を知るために踏み込んだ質問をすることで、もしかしたら相手を傷つけてしまうかもしれません。相手を傷つけるかもしれないという覚悟を持つことも必要になってくるのでしょうか。もしくは、相手が悩みを話せる信頼関係を築いたり、相手に配慮した言葉遣いで会話をしたり、ご自宅に置かれているものから相手の背景を想像したりする努力も必要かもしれない。
患者さんに踏み込んだことで、困難なケースなのに社会的制度が存在しないとか、解決の糸口が簡単には見えない状況だとわかるということがあるかもしれません。貧困、虐待、孤立の問題と対峙することもあるでしょう。家族によって、個人によって深刻さや課題感は異なりますし、いわゆる「社会課題」には見えなくても、とても切迫している悩みにつながるかもしれない。
このような行動は、もはや「医療」の枠組みを超えています。医療職の方ではなく福祉職が担うものだとも思います。ですが、現実として他に担える役割の人が存在せず、生活密着型の訪問医療で出会う医療職の方々が唯一の相談相手ということもあるのではないでしょうか。
医療職の皆さんは想像以上に広い範囲で、個人や家族に深く迫って、病気と社会とに向き合っています。ですが、そんな状況では医療に関わる方が精神的に参ってしまい持続的ではないとも思います。どうしたらいいんだろう。そんなふうに感じたとき、文枝先生からこんな言葉をもらいました。
「自分のできることをすればいいの」
それを聞いて少し安心すると同時に、それでもなお訪問診療を担う皆さんの使命感の強さや、取り組まれていることのすごさを身をもって知ることができました。訪問診療というのは、もはや新しい「ライフライン」として機能しているのかもしれません。
そして、そのような大変な取り組みだからこそ、文枝先生の言うように、それぞれ異なる「自分のできること」を、チーム全体で実践していく。それぞれができることを重ね合わせて目の前の患者さんを支えることが、訪問診療の要なのかもしれないとも思いました。医療職ではない法学部の私の「自分のできること」はなんだろう。そんなことを考えながら、これからも学びを続けていきたいです。
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