内山節『共同体論の基礎理論』|大塚と内山2つの『基礎理論』を読み返す
大塚久雄から55年を経て:
内山節というと農文協という連想が働いてしまうが,大塚久雄の『基礎理論』(1955年)から55年を経て,あえて同名の書物を出版したことに思いが及ばなかった。
アマゾンセールでKindle版 内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書,2007年を購入したのを機に,2つの『基礎理論』を読み返してみた。
共同性と公共性の再構築:
大塚は『基礎理論』の刊行後,「新しい共同体」の再構成を提唱した。
大塚は,共同体を二つの視点から分析した。それは土地所有の分析を基礎として共同体論を構築していくという視点であり,もう一つは共同体がはらむ共同体的要素と指摘要素という,「固有の二元性」の展開の過程としてその動態を解明するという視点である。
共同体的土地所有に関して,入会地だけでなく,耕地や屋敷地についても個々の「家」のものであると同時に,「村」全体のものであった。
大塚は共同体の解体の上に成立する近代社会を目指したが,一方で日本と中国に共通する農村社会の共同的正確を強調することで,「ヨーロッパ対アジア」型の認識論のままであり,大アジア主義の近代の超克を目指す動きと重なった。また中国研究者からの批判は,中国農村は,むしろ村落共同体を欠いた社会であり,日本やヨーロッパの農村社会のように封建領主の支配への防波堤として村落共同体を作り出したものとはまったく異質だという。
大塚『基礎理論』は,もはや省みられない古典か?
1:共同体が,「村」の範囲とは重ならず,水利用,山利用といった契機ごとの共同組織が分散してあるようなあいまいな姿が日本の村落共同体の特徴。
2:イギリスの近代化プロセスを「典型」(ドイツ=特殊型)と捉える歴史観。
といった点が課題となっている。
新しい共同体の基礎理論:
内山節『共同体論の基礎理論:自然と人間の基層から』農山漁村文化協会,2010年
内山は,大塚著が広く読まれた1960年代の「共同体」論は「共同体的な社会が封建主義の社会とほとんど同義語で使われ,共同体は否定の対象」であり,「古い権力関係に支配された,自然に束縛され人間の自由が失われた社会」とされたという。
一方,内山は,個人化が進んだ現在の社会では孤立、孤独、不安が広がり、
関係性、共同性、コミュニティ、そして共同体が、未来へ向けた言葉として使われるようになってきたと主張する。
そして、「共同体は克服すべき前近代から未来への可能性へとその位置を変えたのである」と宣言する。
明治以降の日本に共同体を否定する3つの流れがあったという。
第1に社会主義思想
第2にリベラル派の近代思想
第3に国家
第1と第2の流れは、日本の共同体は進歩に「遅れて」いるので、すみやかに近代化をはかり、近代市民社会へ移行すべきであるという流れ。
一方、近代国家の形成をめざす国家の側からの共同体否定論は、伝統的な共同体を国家にぶら下げ、共同体を骨抜きにする政策が採られてきたという。
著者が1970年代から通っている群馬県上野村でのエピソードを紹介しながら、そうした「精神」は共同体の中にあり、住んでいれば実感できると述べる。
👉この「多層的精神」を日本の共同体の特色として見出し,共同体論の基礎に据える
さらに共同体を多層的に捉えるところも特徴である。
著者の住む須郷という集落が第一の共同体だが、道の維持や広い山の管理などは集落だけで完結できないので、少し広い範囲の第二の共同体で管理する。さらに、江戸時代の旧楢原村の単位で動くときもあるので、これが第三の共同体で、それより広い現在の上野村が第四の共同体となるという。
このように4つの地域共同体が積み重なったかたちをとり、生業があれば、職能的な共同体を形成し、寺の檀家や寺社の氏子たちも共同体を形成していると述べる。
加えて、共同体を自然と人間の共同体と捉えるが、その関係性については、日本人の思想では自然と人間は分けられていない。
だから、自然と人間によってつくられた村という認識が生まれ、自然と人間による自治が課題になるとする。
このような論点から、日本の共同体は自然と人間の共同体であり、生と死を総合した共同体であり、さらに中世以来の自治の精神が流れ続け、江戸期以降は家業を継続する精神が影響を与えたものと考える。
しかし、こうした「伝統的共同体」は、明治以降の近代化によって変容し、
必要とされる機能としてのみ残ることになった。
その機能として重要な資源や労働などへの共同体の支えが必要なくなっていき,そうして共同体が壊れたとき、逆に人々にこれを維持しようという動きが生まれ、共同体は意図されたものに変わったと結論づける。