見出し画像

やさしい雨

 二百六十円のコーヒーを二時間かけてようやく飲み終えた。暖かい店内に反して、店員の視線は酷く冷たい。「あと、一口だろ。さっさと飲めよ」みたいな。しかし、それもこれも突然降り出した雨が悪い。
 十月某日。出先からの帰宅時に雨が降り始めた。ちょうど喫茶店が目の前にあったので入店して、メニューの中で一番安いコーヒーを注文した。当初、十分くらいで雨が止む見込みでいたが、それを嘲笑うかのように二時間どしゃ降りだった。
 コーヒーを飲み終えてしまったらこの場所にいられなくなるため、無料の水で喉の渇きを癒し続けた。店員はコップが空になれば水を注いでくれる。卑しい私はその優しさに漬け込んだのだ。一体何杯の水を飲み干したのだろう。恐らくバケツ一杯くらいは飲んだ気がする。そのため、正直、店員に突然殴られても私は反撃する権利はない。というか殴ってくれ。それでもう一時間だけ、居させてくれ。
 いい加減お金を払って逃げるように喫茶店を出た。外は暗く、早足のスーツ達が駅前を通り過ぎていた。見上げれば暗幕のような空から止めどなく水が漏れ出している。なけなしの所持金を削ってまで雨宿りしたのに、空は私に優しくないようだ。ほどなくして、一匹のびしょ濡れ貧乏大学生が誕生した。
 今朝の天気予報を素直に信じていれば、こんなことにはならなかった。「根拠はないけれど、なぜだか今日は雨が降らない気がする」という漠然とした自信を鵜呑みにした己を殴りたい。おまけに洗濯物まで干すという愚行すら犯した。そしてこのザマである。明日履くパンツは、少し濡れているだろう。そんなことを想像すると、パンツよりも先に自分の顔が涙で濡れそうだった。
 駅から自宅まではさほど離れていない。それでも雨に濡れず帰れるのであればその方がいい。すれ違う人々は傘をさしていた。自分だけ雨ざらし。その様はまるで映画のワンシーンのようだ、などという妄想した。実際は、濡れた靴下の感触で涙目になっている男の姿がそこにあるだけだった。悲惨な現状から逃避するために脳が美化する現実は、二つの意味で冷めていた。
 コンビニの前を通り過ぎようとした時、大きな影が傘を揺らしながら向こうから近づいてくる。二メートルくらいの巨漢と思われる。外国人にしても大きい。私と巨漢の距離が次第に縮まる。店内から洩れる白い光に互いが踏み込む。それは親子だった。それも娘を肩車した父の二人だった。どうりで大きいはずである。
 大人用の傘は子供の手に余るようで、前後左右に揺れて父親が濡れていた。それはもうびしょ濡れで、髪の毛が額にくっついて変だった。しかし、それを気に止める様子もなく、晩ご飯はカレーが食べたいという話をしていた。
 思わず立ち止まり、親子の背中をしばらく見てしまった。二匹の男。同じ空の下でも、何か違いがそこにあった。途端、雨の冷気が少し丸みを帯びた気がした。
 小さくなっていく二つの背中を見送ってから、コンビニに立ち寄る。全財産の二百四十円でカレーを買った。この時、家に米が無いことを私は知らない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?