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憩いの場所は閉鎖です。

  夜更かしした次の日の目覚めは、最低で最高だと思う。全身が泥にでもなったかのような倦怠感と、人生がダメになっていく感覚が、自分の輪郭を不明瞭にしていく。これが昭和なら電気ブランを片手に目覚めの一杯を流し込んで煙草でも吸うのだが、令和ボーイの私はスマホで動画を見て朝を拒む試みに出る。まあ、しかし目が覚めてから無為な時間を過ごすという点では、今も昔もあまり変わらないのかもしれない。
 いつものように目が覚めて、ある異変を感じた。まぶたがうまく開けられない。季節の変わり目になると何故だか体調を崩す。今回は眼球の様子がおかしかった。レンジでチンした熱々の濡れタオルをまぶたの上にしばらく置いておくと少し症状が改善した。こんな朝が数日続いた。生活に支障をきたし始めたので嫌々ながら病院へ行く。
 「ここ見て、全部傷。乾燥した目を擦るとこうなる」
 「はあ、なるほど」
 拡大された眼球の画像を医者が指差して、こと重大そうに説明する。その間も目は半開きだし、説教じみた診察によって症状を悪化させられているような気がしてきた。しかしこの状況は、普段の不摂生が原因であると心のどこかでわかっていたため、落ち度のない目医者へ向けた八つ当たりめいた不服は表面化する前に押し殺した。こうも細部まで見えるとただただ気持ち悪いな、という自分の目の感想といくつかの目薬を抱いてその場を後にした。
 駅の近くまで外出した時は、決まって喫煙所に寄ってから帰宅する。あの場所でタバコを吸うことはもちろん、集まってくる大人たちを見ることが好きでたまらない。年齢を問わず同じ目的を持った人間が、一つの箱の周りに集まるのだ。滑稽でたまらない。そして、たまらなく愛おしい。
 そんな喫煙所が閉鎖されていた。感染症の影響であることが張り紙に記されていた。胸の高鳴りは宙吊りになって、子供の頃の迷子になったときのような不安に襲われる。煙草を吸えないだけで大袈裟だと、非喫煙者は笑うだろう。正解である。おかしいのは私たちだ。
 引き返そうとしたら、同じように入り口の前でフリーズしている四十くらいの男性がいた。彼もまたこの禁煙時代における迷えるの子どもなのだろう。名前も何も知らない彼らに謎の仲間意識を感じる。これは禁煙文化の推進と反比例の関係にあって、世間が煙草に対して冷たくなればなるほど強まるようだった。
 それでは最後に一言。時代を逆行する愚か者たちに敬愛を。

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