好かれる人嫌われる人

私の嫌いな人のタイプは、他人の話を聞かない人、自己主張の激しい人、他人に配慮ができない人、騒々しい人、頭の悪い人などなどだ

世の中の人は、周囲から好かれる傾向がある人と嫌われる傾向がある人とどちらでもない人に分類できる。私自身がどこに分類されるかはわからないが、好かれやすい傾向はないように思う。人間関係なんて目には見えない空気みたいなものだからなんの確証もないが。そして、自分自身を嫌われる傾向がある人だと分類する人はそんなに多くはないだろう。今日のテーマは、自分で自分自身をどこに分類しているかという話だ。

自分で自分自身が周囲から嫌われやすいと思っている人間は、悲観的で用心深くて周囲の人間を信頼していない人だと思う。ここでは、自分自身が嫌われやすいと思っている人間が、現実で実際に周囲の人間から嫌われているからどうかはそれほど重要ではない。嫌われやすいと自覚していることの方が重要だ。そのような自覚を持つことによって、より人間関係に自信を無くし、人と関わることが億劫になっていく。すると、さらに嫌われるという思い込みが強くなっていくというループを繰り返す。その終着点が引きこもりのような社会との関係を断ちたいと思っている人たちだ。あるいは自殺するのかもしれない。人間は1人では生きていけないから、社会との関係なんて断てるはずがないのだが、それでもそれに少しでも近づこうとしてしまった結果が、引きこもりや自殺なのだろう。

個人的には、自分が周囲から嫌われる傾向があることを自覚している人間はまだ救いようがあると思う。なぜなら、そうやって自覚しているのであれば、意識的に嫌われないような行動をすることができるからだ。嫌われる傾向がある人は、人間関係に億劫になっていくが、そのままでは変わらない。むしろ悪化していく一方だ。自分でそれを変えたいと思うなら、嫌われる原因を考えて、それを克服することだ。嫌われやすいことを自覚しているなら、その原因も自覚できるはずだ。ちなみに、嫌われやすいと自覚している人に共通していることは、自分に自信がないということだ。だから、まず最初は虚勢でいいから自信を持つことだ。それすらも無理なら、何か自信が持てることを作ることだ。なんでもいい。ナンバーワンにもオンリーワンにもならなくていい。100人いたら自分1人しかでできないと思えるぐらいでいいから、そんな何かを身につけることだ。100分の1でいいから何かを身につけたらそのことでは自信を持てる。少し話が逸れたが、自信さえ持つことができれば、自分は嫌われやすいという自覚もなくなっていく。

逆に問題なのは、実際に周囲の人間から嫌われやすいのに、嫌われやすいという自覚がない人の方だ。こういう人たちは自分が嫌われやすいというより好かれやすいと間違った自覚している場合すらある厄介な人たちだ。ただ、本人からしたらそう自覚していることは幸せなことだ。自分が周りから実際どう思われているかも知らずに、好かれていると自覚できるなら、そんな幸せはない。嫌われると考えるよりよほどマシに思える。もちろん、本人の自覚に関わらず、実際に周囲の人たちから嫌われていると、それだけで周囲の人たちが距離を置こうとするので、仲のいい人を作りにくくなったり、コミュニティの中で孤立しがちになるのだが、本人はそれすらも自覚しないまま自分から周囲の人たちと距離を縮めようとする。そうすると、周囲の人たちは余計に距離を置こうとする。それを繰り返しても、自分が嫌われやすいと自覚できないのだからある意味幸せだ。ただ、周囲の人たちからしたらそういう人がいることは不幸なことでしかない。距離を置こうとしているのに、相手が距離を縮めようとしてくるのだから、対応に困るはずだ。そして、日本人の多くは本心を隠したまま無難な人間関係を好む。つまり、嫌いな人に正面から嫌いだと言えない人も多い。そうなると、あとは、片方から嫌われていて逆からは好かれているという歪な人間関係が形成されるだけだ。そして、実際にこういう関係は割と多い。

以上のことを踏まえると、人間関係を悩みたくなければ、自分は周りから無条件に好かれていると自覚して、それを信じ込むことだ。そうすれば、自分は幸せだ。それができないなら、世の中にはそのような人がいることを自覚して、そのような人たちとの関わり方に気をつけることだ。こっちは、嫌っているのに相手がそれに気づかずに距離を詰めてくるのは自分が一方的に疲れるだけだ。人間なんだから、好き嫌いがあっていい。自分が相手を嫌っていることで自己嫌悪を抱くかもしれないが、そんなことは気にせずに嫌いなら嫌いであるとはっきりさせることが自分のために大切だ。


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