生きる意味を考えるpart6

前回はこちら。


生きる意味を考えるにあたって、自らの生きる意味を理解している人、人生の目的がある人、何か必死に頑張れるものを持っている人は生きる意味なんて考えてはいけない。目的や目標に向かって努力し続けてほしい。このnoteは生きることに悩んでしまった人、人生で立ちどまってしまった人に向けて書いたつもりだ。

そして、生きる意味自体を考えることはとりあえずこのパートで一区切りをつけたいと思う。そうは言っても、生きる意味は生きていく上でのモチベーションになっているはずで、それに悩んでしまうと、勉強、仕事、恋愛、趣味、人間関係などのおおよそすべての人間の営みの中でどこか壁にぶつかるはずだ。生きる意味を考えることはここで一区切りにしても、さまざまな人間の営みと生きる意味との関係はまだまだ考えていきたいと思っている。

とりあえず、本題に入ろう。これまで生きる意味をいろいろな視点から考えてきたつもりだ。そして、結論は生きる意味なんてないということだった。では、なぜ私は生きる意味がないと言い切れるのだろうか。私がまだ真の生きる意味を見つけられていないだけで本当はどこかに生きる意味があるのではないかと思うかもしれない。しかし、それはあり得ないことを伝えたいと思う。

生きる意味がないというのはとても強力だと思う。私は生きる意味がないというのは、文字通り、人生の中で何をやったところで無意味だというように理解している。例えば、私がnoteを書くことは無意味だし、私がいくら稼ごうとも無意味だし、私が総理大臣になっても、世界統一をしても無意味だ。それでも「私が生きる意味は家族のためです」とか「私の生きる意味は日本をよりよくすることです」とか言う人間が現れるかもしれない。そして、私はそれを否定しない。否定してはいけない。彼ら彼女らはそれに自分の人生をかけてもいいと本気で思っているし、そんなことは無意味だと伝えたところで理解されないだろう。私が家族にも日本をよりよくすることにも生きる意味を見出せないように。私からしたら、家族に自らの生きる意味を求めたとしても、家族も自分もいつか死んでしまうし、日本をよりよくすることに生きる意味を求めて、どれだけ日本を素晴らしい国にできたとしても、自分が死んだり、いつか日本が滅びてしまったら意味がないと考えてしまう。極端な話をいえば、人類は誕生した以上いつか絶滅するし、地球が誕生した以上いつかは地球はなくなる。そう考えると、どれだけ素晴らしい影響を残そうが、どれだけ自らの価値を高めようがそんなものは無意味だ。つまり、生きる意味が無いとわかってしまった瞬間に、他人にどれだけ魅力的な生きる意味を紹介されたところで提案されたところで、そんなのは人類が絶滅したら等しく意味が無いだと言い切れてしまうのである。そうでなくても、科学的には人間の心はニューロンとシナプスの活動の結果でしかないのだから、自分が死んでしまった瞬間に自分は何も感じなくなり、すべて無意味になると言い切れてしまう。つまり、皮肉なことに生きる意味なんて無いことを本質的に理解してしまった瞬間に、生きる意味が無い言い切れてしまうのである。

さて、生きる意味が無いと理解してしまったのに自分は死なない(もしくは死ねない)まま生きている。あるいは死んでいないと表現する方が的確なのかもしれない。いずれにせよ、心臓は動いているし手足も動かせる。世の中には意味のないことをできる人間はたくさんいるし、意味のないことに無理矢理価値を見出そうとしている人間もたくさんいる。(別にこれは生きる意味に限らず、だ。)生きる意味が無いと思っている人間も同様に、意味がないことを続けるか無理矢理価値を見出して生きていけばいいのだ思う。

そして、私は意味がないことを続ける自信はなかったので、生きることに無理矢理価値を見出そうとした。そして、刹那主義でしか生きられなくなった。尊敬する西尾維新先生の著書を読んでいる間だけは生きる意味を考えることを忘れて小説の中の世界に没頭できるし、アニメを見ているときはその世界に魅了される。あるいは、お気に入りの車でドライブしている間は、運転に集中しないといけないし、ゲームをやっているときはとりあえず楽しめる。そうやって、自分自身を騙しながら生きていくことしかできなくなった。つまり、《今は幸せだ》という一瞬一瞬を積み重ねていけば人生はずっと幸せだという考え方だ。ただ、これも自分で自分を騙していることは十分に理解しているし、そんなことに意味が無いことも分かっている。だから、これはまやかしだ。

結局、生きる意味がないと理解してしまったら、もうそれ以上はどうしようもなくどうしようもないのだと思う。最後に西尾維新先生の著書「クビシメロマンチスト」から次の言葉を抜粋して終わりたいと思う。

「人生がゲームではないのはリセットボタンがないからではなく、そこにゲームオーバーがないからだ。とっくの昔に《終わっている》のに、それでも明日はやってくる。夜が来ても朝が来る。冬が終われば春が来る。人生って素晴らしい。」

私は生きる意味が無いと理解した時点で人生は《終わっている》状態なのだと思う。つまり、そういうことだ。



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