生きる意味と仕事

人生の中で多分最も時間を割くことになるのが寝ることでその次点で仕事だと思う。寝ている間は意識がないことを考えると、人生で一番長く感じることは仕事かもしれない。80歳とか100年とか言われる人生の中で40年以上仕事をしているはずなのだから、それは当然のように思う。そのような視点で見ると、生きる意味を考えるにあたって仕事とは切っても切れない縁があるように感じる。40年以上やりたくもない仕事をやったところでそれは苦痛でしかないし、人生にとっても有意義な時間であったのか疑問が残るだろう。つまり、生きる意味を無視して仕事を選ぶことは生きる意味を考えていないことと同義である。

とある就活系のYouTuber(今の時代○○系YouTuberはどの分野にでもいるんだなって)が「就活では人生の目的をベースにするべき」だという主張をしていた。人生の目的を就活のベースとすることで、志望動機や面接での受け答えが明確になるということがこの主張のカギだ。私は人生の意味と人生の目的は字面こそ違うものの、それらの目指している本質は同じだと思っている。そう考えると私はこのYouTuberの主張にはとても同意できる。自分の人生の目的を就活のベースにすることによって、就活で確固たる軸ができると同時に、人生の方向性も自ずと定まる。その上、就職してからも人生の目的があるから、就活がゴールではなく、きちんとスタートとして機能している。結局、仕事は人生の目的を実現するための手段の1つでしかなく、仕事だけが人生であるわけではない。お金を稼ぐためだけに仕事をすることは人生の意味や目的を無視して、ただ寿命を伸ばすためだけに仕事をしているだけに他ならない。

例えば、日本の就活市場では公務員は人気だ。なぜ公務員が人気なのかというと安定しているからだ。安定していると人生設計は立てやすいし、そうすると自分の人生の数十年後まできちんと見通しを立てることができる。人生の目的が、結婚して、子供を産んで育てて、老後に少し楽しみがあれば良いという人にとっては安定であることはかなりの魅力なのだと思う。

一方で、私は生きる意味がないと分かってしまっている。つまり、今の文脈では生きる目的もない。これは致命的だ。完全に詰んでいる。人生の目的を就活のベースにして、その後も人生の目的を達成するために仕事をすることには反論の余地なんて一切なく賛成だ。しかし、私にはそもそもベースとなる人生の意味、人生の目的がない。つまり、私は就活をしようが仕事をしようが、そこには芯も軸もなく意味も目的もないことを自ら嫌というほど自覚してしまっているのである。生きる意味や目的を持たずに無自覚に就活や仕事をしている人たちよりも、そのような自覚がある分なおさらタチが悪い。そして、生きる意味がないとわかってしまったら、これは呪いのように忘れることもできないまま私自身に刺さり続けているから、自分に嘘をつき続けて就活や仕事をするしかない。そういう意味で致命的だし、詰んでいる。

こうやって、仕事だけを考えても生きる意味がないことは致命的だ。生きる意味がないと分かってしまった時点で救いようはないと思っているし、それでも死なないまま生きていかなければいけないという現実はとても残酷だ。



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