気分が乗らない時に陥る罠

こんな私でも好きなことに対して億劫になることがある。

今朝ランニングの時に思ったことだ。
いつもは朝起きて淡々と着替えてイヤフォンを装着してすぐにランニングに出かけるのだが今日は朝ランすると決めていたのになぜか気分が乗らない。

気持ちを奮い立たせて重たい腰を上げて着替えたはいいもののTwitterを開いてしまい気がつけば30分ほど過ぎている。そんなこんなで走り始めたのが起きてから1時間後くらいになってしまった。

皆さんはそんなことはないだろうか。

私はサーフィンが好きでいつも前日の夜から楽しみでそわそわするくらいに楽しみにするのだが時々なんだかめんどくさくなってしまったり、波がなかったらどうしようというようなそこはかとない不安に襲われてしまうことがある。

Twitterが大好きでみんなのツイートを見て楽しんだり自分の思っていることを好きに発信してその反応を楽しんだりしている。
ところがTwitterを開くこと自体が億劫になることがある。人のツイートを見ていてもなんだか気が乗らなかったり、自分が発信することにしても全く頭に何も降りてこなかったりという状態だ。

思うに人はたとえそれが好きなことであってもその日の体調やメンタルの具合によってそれが億劫になってしまうことがある。
好きなのに億劫。
非常に矛盾しているように思えるのだが時々そういう時が訪れるのだ。


しかしこれが面白いことに無理矢理にでも実際やってみたほうがやらない時よりも気分がいいのだ。

たとえば今日でも走る前はだるいなーと思っていても実際走り終えると「気持ちいい!!やっぱり走ってよかった」となる。
海に行くまでは億劫で不安が出てきたりしたとしても、実際に現地について朝日を浴びながら早朝のサーフィンを楽しむと来ないという選択肢なんてありえないと思う。

SNSに関してもそう。
気分が乗らないままでも実際にやりながら友人とのコミュニケーションを楽しんでいると次第にやっぱり楽しいよなとなる。


本当に気まぐれなものなのだがこの現象はなぜ起こるのかというのを自分なりに考えてみた。

たどり着いた答えは「感謝が足りていない」ということだ。
これは習慣化の弊害でもあるのだと思う。

朝日を浴びて自分の脚で走れること。
自動車を長距離運転しサーフィンを楽しむこと。
SNSでコミュニケーションを取り合うこと。

これらは果たして当たり前のことなのあろうか。

そんな問いを自分に起こしてみると一時的な自分の億劫さは感謝を忘れ今ある状況を当たり前だと感じる怠惰な態度なのだと思う。


綺麗事ではなく「好き」を実現できる自分の環境には常に感謝を忘れてはいけない。そんなことを思った休日の午後。

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