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なにかしくじったとき

しくじったとき、不安や自己嫌悪に苛まれて他に何も考えられなくなる
ずっとそうだった
これからも変えられる気がしない
悩みふけったところで好転したことは無いんだけど

なぜなのか
もう何度も同じこと繰り返して、今回もどうせ好転しようのない悩みをうだうだ繰り返してくだけなのは分かりきってるのに
悩むことが好きなわけではない
できればきれいさっぱり忘れてご機嫌になりたい
でもできない
なぜなのか

記憶に強く留めておきたいのか?
にしては同じ過ちを繰り返しているのであまり効果はない気がするが
それよりほかのことに手が付かなくなる弊害のが大きすぎる
ネガティブな感情が紐づけば、確かに行動は変わりそうだが
たぶん、うまくいかない
なぜなら、しくじったときになぜしくじったのかを的確に分析せずに、ひたすら悩みたおしているから
悩んではいても、考えてはいないのだ
だから、次同じ危険にでくわす予兆を少しでも嗅ぎ取ったら、途端に引き返すようになる
なにが危険なのか、どうすれば危険回避しながら目標達成できるのか、そんなことは考えず、一目散に逃げる
失敗を糧に成長できない

悩むのは大抵自分に失望したときだ
わすれてもいけないし、反芻してもいけない
どっちつかずが余計に苦しい

いずれ忘れるんだけど、onoffが遅い
メンタル弱いのは言語が弱いからだと聞いたことがある
言語が弱いと、自分がいま何を考え何をしているのかすら認知が霞むのだろうか
もうこのモードで生きてきた時間が長すぎて、異常なのかどうかもわからなくなっているかもしれない
自分の認知できていない世界に気付くって、そうそうできることではないよな
確かな情報かは分からないが、なんとなく答えはここに在りそうだ
自分があこがれる人がみな持っていて、俺は持っていないもの
もともと文字きらいで、人付き合いが減って、言語を大切にしなくても良い人生を選んで生きてきたが、やはりというか、このせいで弊害が出始めている
youtubeに二チャンネル、言語を介さず脳を怠慢させる麻薬であふれたコンテンツを浴びまくっていれば、そりゃダメになるか
ほんとうに断ち切ってみようかな
ネットが無けりゃ、しゃあなし本読み始めるだろうよ


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