見出し画像

ローマで親知らずを抜く

十五年ほど前のことだ。旅行でローマに一週間ほど滞在したことがある。ローマ帝国に興味があってイタリア料理が大好きな私にとって最高の旅行だったのだが、ローマに着いてほどなくして最悪なことが起こった。左奥一番下の歯、親知らずが痛み出した。十年ほど前に神経は抜いてるはずなのに、どんどん痛くなってきた。これはただごとじゃない。

美味しいパスタを食べてもそれどころじゃない。触ってみると親知らずがガタガタ揺れる。そうこうするうちに、歯茎がもの凄い勢いで腫れてきた。食欲も落ちてきた。冷蔵庫から出したコーラの瓶でホッペタを冷やしてみたのだが、瓶がすぐさま温かくなった。鏡を見ると、左頬が異常に膨らんでるいる。

ローマ到着二日目。選択肢はふたつ。このまま帰国までの残り4日を我慢して過ごすか、今すぐローマで歯医者さんに飛び込むか?でも、イタリア語しか通じない国で歯医者さんに行って、なんとかなるものだろうか?そもそも「痛い!」のイタリア語がわからない。

ネットで調べると、ローマの町にはそもそも歯医者の数が少なくて、現地の人でも予約待ち二ヶ月なんてザラにあると書いてある。だから、「虫歯になったら歯医者の友達を今すぐ作って予約をとるべし」なんてことが書いてある。「これは冗談じゃない」とも。

その夜、悩む必要がなくなった。痛みが限界を超えたのだ。メールで海外に詳しい日本の友人に相談。最初は「日本語が通じて、今すぐ診察してくれるローマ市内の歯医者」を探して貰った。答えはすぐに出た。そんな歯医者はいない。次に「日本語はともかく英語が通じて、今すぐ診察してくれるローマの歯医者」を探して貰った。すると、友人はそのまた知人を経由して「英語の達者なベルギー人で、今すぐ診察してくれる歯医者」を見つけてくれた。

翌日、教えられた住所に向かう。ごくごく普通の、ローマ市内にありがちな古風な雑居ビルだが、日本のようにビルに一枚の看板もついてない。ちょっと不安。でも、インタホンの呼び出しボタンの中に、その歯医者の名前は見つけた。すぐさまボタンを押して、拙い英語で自分が客であることを告げた。すると女性の声が聞こえてきて、私のために玄関からその歯医者に行くための方法を説明してくれた。というのも、インタホンの呼び出しボタンには部屋番号すら書いてないので、説明なしには歯医者にたどり着くことが出来ないのだ。

インタホン越しに彼女は、歯医者にたどり着くための方法を私に何度も何度も教えてくれるのだが、さっぱり理解できない。というのも彼女は、イタリア語しか喋れない人だった。前夜の電話で、英語が喋れる歯医者であることまでは確認したが、受付の女性の言語までは確認してなかった。私は英語で「パードン?」をもう何十回も繰り返し続けているるが、彼女の説明がまったく理解できない。だから、玄関のドアも開かない。どんどん親知らずは痛くなる。さあ、困った。

そんな時、スーツ姿のイタリア人青年が突然現れて私を押しのけて、インタホンに向かってイタリア語の早口で何かまくしたてた。すると、玄関のドアが開いた。彼は片言の英語で言った。「一緒に、来なさい」

彼は、私と同じ歯科医の患者だった。複雑な経路を通って私を三階にある歯科医まで連れて行ってくれた。青年は先に自分の受付を済ませてから、受付に私を紹介した。やがて、薄緑色の白衣を着た知的な眼鏡男性が現れて、私に握手の手をさしのべながら英語で言った。

「日本からやってきたイトサンはあなたですね?すべて聞いています。今すぐ私の部屋に行きましょう」

地獄でついにベルギー人の仏様が現れた。神様はすぐさま私を自分の部屋に連れて行ってくれたが、驚いたことにそこは、日本で言うところの「歯科医っぽさ」が寸分もない部屋だった。イタリア風の古風な民家の一室に、歯科医特有の例のあの椅子が置いてあるだけだ。

ベルギー人は私の口の中にいきなり不思議な器具を突っ込んできた。どうやらこれが小型のレントゲン機器だったらしく、椅子に座って一分後には患部のレントゲン写真が届いた。ベルギー人は「アハン」と納得してから私にもその写真を見せてくれた。そこには、普通なら縦に刺さっているはずの親知らずが、完全に横向きで寝ている。おまけに、複雑な形をしている。ベルギー人が説明した。

「イトサンの歯は、すでに壊れています。しかも、3つのパーツに分かれています。今すぐ抜くのがベストです。このまま放置すれば、痛みはもっと大きくなります。どうしますか?」

答えは決まっている。「お願いします」

そこからのベルギー人の行動は早かった。あっという間に麻酔を打って、ハンマーのような器具で私の奥歯をがんがん叩き始めた。続いて、別の器具でその歯をねじ切ろうとする。これがかなり痛い。つらい。やがて、ベルギー人の手によって、血まみれの小さな破片が3つ、私の口の中から取り出された。

「イトサンに、ローマのスブニール(お土産)としてプレゼントします」

この部屋に入ってからわずか5分ほどのことだった。ベルギー人は言った。「もう終わりです。イトサンはローマ観光に戻っていいですよ」と言いながら、さっさと玄関に向かって歩き出した。慌てて追いかける私「ドクター、代金は?」すると彼は2秒ほど考えてから振り返った。「100ユーロで」…金額、そんな適当に決めちゃうの!?と思ったが、日本円で2万円ほどのユーロを素直に払った。

その夜は泣きたいほど痛かった。ホテルのベッドで震えながら「ベルギー人に騙された!ローマ観光どころじゃないだろ!」と運命を呪いながら気を失いように寝た。ところが翌朝には、ケロッと痛みが消えていた。ベルギー人、ありがとう。残りの3日間、ローマ観光はもちろん、ずっと我慢してた本場のイタリア料理を思いっきり食べまくった!

2023-02-26
                             ■■■


#ローマ #親知らず #歯医者

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?