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相手の意見と違う意見を言うことと相手の意見を否定することは異なる

グループディスカッションなどのグランドルールとして
相手の意見を否定するな
といったようなものがよく出てきます。

これは参加者全員がが安心して自由に発言できるためのルールです。
いわゆる「心理的安全性」というやつです。

会話を活発にさせるために大事なルールです。

ただ皆さん、このように思うことはありませんか?

「あの人はこう言ってるけど、自分の意見とは違うなぁ。でも、否定するなってルールもあるし・・・」

その結果、相手とは違う自分の意見を封印してしまう。

こうなってしまうと、本来の目的である
「参加者全員がが安心して自由に発言できる」
から外れてしまいます。

なぜ、こうなってしまうのでしょうか?

これは、「相手の意見を否定するな」の意味を取り違えてしまっているからです。

AさんとBさんの二人の意見が異なることは大いにあり得ます。それぞれの経験、置かれた環境、考え方などによって意見が異なるのは当たり前のことです。なので、Aさんが発言したことに対して、Bさんが別の発言をすることはAさんの意見を否定することにはなりません。

「でも、相反する意見を言えば相手の意見を否定することになるのでは?」と思うかもしれません。

それは、「自分の意見が正しくて相手の意見が間違っている」と考えているからそのように感じるのです。
「相手と違う意見を言う」=「相手の意見を否定する」ではないのです。
それは自分の意見が正しいと思っているから、相手の意見を否定しているように思えるだけなのです。

「相手の意見を否定する」というのは相手の意見が間違っていると断定してしまうことなのです。つまり、相手の意見に対して「そんなの間違ってる」と発言してしまうことが否定するということです。

相手には相手の意見があって、自分にも自分の意見があるだけなのです。
そこに正しい/間違いを繋げてしまうのがいけないのです。

例えば、1+1が3だと言われれば「それは違うよ」と言えばいいのですが、「私はこう考える」に対して「それは違うよ」ということはないのです。確かに、倫理上とか道徳上といった常識に照らし合わせて「明らかに相手が間違っている」と思うことはあるかもしれませんが、ディスカッションが平行線になっている場合、一方が明らかに間違いだと言えるようなことはほとんどないはずです。

相手は相手の意見として、自分は自分の意見として、それぞれ一旦受け止めた後になぜそれぞれがそのように考えているのかについて会話することで建設的なディスカッションができるようになります。

逆の立場で言えば、自分の意見に対して相手が正反対の意見を言ったからといって、「自分の意見が否定された」と感じる必要もないのです。そのように感じるのも、自分の意見が正しいと思っているからに他なりません。

どっちの意見が正しくて他方が間違っているとか、どっちかの意見が採用されたから採用されなかった意見は間違っているとか、このような感情を手放してしまうことが大切なのです。念のため補足しておきますが、もちろん「採用されたほうが正しくて、採用されなかった方が間違い」ではないのです。意思決定のルールに従って、ある意見が採用されただけなのです。

人間だれしも、無意識のうちにこのような勝ち負けの感情が出てくるものですが、意識的に手放すようにすれば意義のあるディスカッションができるようになるはずです。

言葉遊びだと感じる方もおられるかもしれませんが、こんな風に考え方を少し変えてみるだけで会話は変わってきます。(少なくとも自分自身の受け止め方は変わってきます。)

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