「差別」というものについて考えてみる3
差別されているだのなんだの言う前に、そういう意識がすでに差別意識であるという事を知ろう
ごちゃごちゃ言ってる連中が多いけれども、人間が人間である限りは差別なんて根絶できるはずがない
差別の根絶というのは、好き嫌いをしないというものにほかならず
好き嫌いをしないという事は感情をなくせという事に等しい
感情をなくせという事は、血の通った人間という有機生命体をやめろと言っているに等しいことをなぜか理解できんのだろうなぁ
やれ人種差別だの男女差別だの言ってるけど、世の中から差別をなくそうと言っている割には自分達しか対象にしてない気がするのは気のせいだろうか?
自分達が不利益を被っているから、差別をなくせ・・・ただの我儘とも聞こえるんですがね?
昔私達のご先祖様が酷い目にあっていた
そしてその酷い目に合わせていたのはお前達のご先祖様だ!
だからお前達は私達に謝罪して生きていかなければならない
理解できなくもないけれど、現在の自分達はどうなんだ?
逆差別の恩恵すら受けてるんじゃないのかい?
黒人だから、LGBTだからと優遇されたりしていないといえるのかい?
最近のこういうクダラナイ良い子ちゃんぶりたい風潮ってのは、ホント吐き気がするほど気持ち悪く悍ましい
他人を見てうらやむ前に、自分がそういう立場に立てるようにするにはどうしたらいいか考えて行動すりゃいいだけの話じゃないのかいな
それもせずに、ただ差別されてると主張することで恩恵を得ている連中が少なからず居るんじゃないんかいな?
そして、そういう人達をだしにしてオイシイ思いをしている連中が居るんじゃねぇの?
この国には一昔前にはこういう言葉があった
他人(ひと)は他人(ひと)、自分は自分
ないものねだりしかできなくなったら人間おしまいだと思うんですよ
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