見出し画像

不特定多数になら伝えられること


 これは先週の、好きなラジオのメールテーマだった。
自分にもあるなと思ってから、どこかに吐き出したくてたまらなくなった。
だから、ここに吐き出して捨てていくことにする。

これは、始まりもしなかった恋への想いと、今後の決意だ。
 

先月の終わり頃、友達から男友達を紹介したいと言われた。
友達がその男友達と話している際に、私と趣味が合いそうだと思ったらしい。
また、男友達は小学生から中学生までの同級生で、お墨付きの相手だという。
ありがたい話ではあったが、私は迷っていた。
私にはもう10年にもなる、ほぼ執着といっていいほどの、どうしようもない感情を向ける相手が居たからだ。
過去、その相手とは良い所まで進んだものの、性格の違いで衝突してしまい、それからすぐに関係は途切れた。
どうせやり直したとしても、また絶対に同じ結末になるだろうし、その人は私との未来など微塵も考える気がないことが分かっている。 付き合ってもないのだからさっさと忘れてくれとも思っているはずだ。
それなのに、私は封印したはずのその想いをたまに掘り返し、悶々と自問自答しては、時々夢に出てくる彼に対して怒ったり悲しんだりしていた。
 
そんな中、新しい出会いの予感。
上記のように私は粘着気質で、恋愛で成功した試しがなく不安しかないけれど、ひょっとしたら、これは物語の中で言う「運命の相手」かもしれないと思った。
今年初詣で引いたおみくじは大吉で、待ち人来ると書かれていたし、ない話ではないだろう。
 
とりあえず、私はその紹介を受けることにした。
仮に紹介してくれた友達をA、紹介された男友達をBとする。
Bは中学時代の同級生で、お互い名前程度しか知らない相手だった。
一度も同じクラスになったことがなく、私はクラスでもあまり目立つ方ではなかったのでそんなものだろうと思った。
AはBに私の顔写真を送り、私もAからBの顔写真を見せてもらった。 正直、Bの顔写真は画像がボケてたり、半分顔が隠れていたりしてよく分からなかった。
BはAに、まずは友達になりたいと言ったらしく、インスタグラムを交換することになった。 実に若者らしい始まり方だ。
AはBに私のインスタグラムを伝えると、すぐにBからフォローが来たのでフォローバックした。 しかし、なかなか申請を許可してくれない。(インスタグラムの鍵アカウントだとフォローしただけではアカウントの中身を見られない仕組みになっている)
今考えると、この時点ですでに不穏な気配が漂っていたように思う。
それから何日も音沙汰のない状態が続く中、Aから私の元へ「Bが二人だけで会うのは緊張するので、AとBと私の三人で会いたいらしい」というメッセージが来た。
私もそう思ったので、快くそれに了承する。
その日、何気なくインスタグラムを見るとフォローバックの通知が来ていた。
その時、自分からメッセージを送ってみようか?とも思ったが、過去やっていたマッチングアプリで、メッセージのやり取りの向いていなさを痛いぐらいに実感していたのでやめた。
この時やめておいてよかった。 どうせ送っても返ってこなかっただろうから。
 
それから約半月が経った頃、Aから「Bと音信不通になった」というメッセージがきた。
話をよく聞くと、その時Aが待っていたメッセージは、いつ会うかの日取りを決めるメッセージだったようだ。 それが返ってこないとなれば、遠回しに「会いたくない」という意味だと取れる。
私はその事実に気付くまで、これから始まるBとの輝かしい日々に夢見て色々と妄想を膨らませていた。
これがもし上手くいって恋人になったら、前テレビで見たあそこへ行って、これをして思い出をたくさん作りたい。 うんと大事にして、幸せにしよう…。
そんなことを考え始めるようになってからは、執着していた相手の事はさっぱり忘れていた。 だから悪い事だけではなかったように思う。 だって10年分の執着を、たった半月で葬ることが出来たのだから。
ちなみに、Bのストーリーの足跡は爆速でつく。
やはり若者らしいな、と同級生ながら感心してしまう。

Aは「こんな奴だと思ってなかった。 あいつから紹介してって縋って来たくせに何様だ!」と物凄く怒っていたが、その時の私は、ショックな気持ちはあるものの、安堵と申し訳なさが勝っていた。
やっぱり私には恋人が出来ないんだ!という謎の安堵と、AとBの幼い頃から続く友情を私が壊してしまったことへの申し訳なさ。 前者に至っては自分でも意味が分からない。 恋人欲しかったんじゃなかったのかよ。 ロマンスの神様ばっか聴いていたくせに。
 
しばらくすると、無力感と寂しさが全身を襲い、それが心に大きな穴を開け、感情はすべてその穴に飲み込まれてしまった。
その後は、私って長く続く友情を壊してまで会いたくない人間なんだ?  投稿のセンスが悪かったから? 可愛くないから? もしかして、同級生たちから私のイタい黒歴史を聞いてドン引きしたから? なんて色々な憶測を勝手に頭が生み出し始めた。
結局、理由をどれだけ考えても分からなかった。
当たり前だ、本人じゃないんだから。 そもそも考えても無駄なことだと今なら分かる。
やがて気分は深い沼の底に沈んだように落ち、何をするのも億劫になった。
 
どんなに無気力で、どんなに嫌な職場でも、お金や生活のためには働かなくちゃいけない。
朝、通勤で車に乗るとき、普段は色々なジャンルの好きな曲をごちゃまぜにシャッフルして聴く。しかし、私は元気がなくなると星野源さんの曲しか聴けなくなるので、例年通り源さんの曲のみをシャッフルして運転した。
去年は特に落ち込んでいる期間が長かったのか、音楽アプリの一年のまとめでは、私は源さんの上位0.05%のリスナーと表示されていて笑った。
寂しさを埋めるように、隙あらば源さんの曲を聴き、寝る前にはCD特典のDVDまで見て、星野源漬けの生活を送った。
源さんの紡ぐ、心地のいいメロディや優しい歌声、歌詞の中に潜む、諦めや希望などに助けられ、徐々に傷が癒えていったのだが、如何せん治りが遅い。
いつもは2・3日すれば良くなるところ、今回は一週間以上引きずっている。
そこで、自分が思っていたよりも傷が深かったことを思い知った。
きっと、世間ではよくあることとして片付けられるのに。
本当に弱いメンタルだ。
 
きっと聴いたことのない曲なら即効性がある! そう思ってwikipediaでフィーチャリングの曲や作詞、作曲の曲を調べて片っ端から聴き始めた。
その時出会ったのが「読書」という曲だ。
その曲は、作曲宮内優里さん、作詞星野源さんで構成されている。
宮内さんの木漏れ日のようにキラキラ輝く優しいメロディに、源さんの温かい歌詞と声に心が震え、感動して何度も何度も繰り返し聴いた。
今、そのおかげで心の修復は完了し、こうして出来事を文章に書き起こし、これからインターネットの海に捨てる準備が出来ている。
 
この曲は、タイトル通り読書をテーマに書かれている。
私は読書が好きだ。 内向的な私にはぴったりな趣味だと言える。
しかし、読書が好きなことでの不安もある。
周りの同級生たちは、結婚や出産、転職などをして、人との繋がりを増やし、どんどん人生の駒を進めていっている。 しかし、私は行進も後退もせず、相も変わらず同じ場所の隅で、ダンゴムシのように丸まっている。 もしこれが人生ゲームなら、私はビリに近いだろう。
私の中の読書という行為は、そんな現実から目を背けるための行為だった。
 
「扉開けて 紙の中へ  僕は友達がいる 別の世に」
読書の中に、こんな歌詞がある。
この曲の主人公も内向的で人とのつながりが少ないようだ。 けれど思い思いに読書を楽しんでいる。 そう思ったら、こんな理由で読書をしている自分も許される気がした。 誰から許されたいのか分からないけれど。
臆病で、不器用で、卑屈で、取柄など何もない自分。
無理に恋愛などしなくてもいいか。 運命ならばいつか会える。 なければこれまで通り、一人で生きるだけだ、と続けて思った。
こうやって、ひとつずつ自分への理想を手放すと、だんだん心が軽くなってくる。
自分は何者でもないという事実を、こうやって少しずつ認識させて、適応させていくしかない。
それでも、読書をしているときは何にでもなれる。 魔法使い、宇宙飛行士、それから今回失敗した恋愛だって、ページを捲ればそこにある。
 
まずは、最近転職のために習い始めたことを極め、新しい人生の切符を確実なものとしたい。
今の環境を変える決意をするのに約3年もかかってしまったけれど、臆病な自分には立派な成長だと思う。
 
後悔したって、失敗したって、迷ったってしょうがない。
だって、今が一番若くて、一番年を取っているのだから。
こうやって自分を許して、紙の世界で冒険して、少しずつ人生の駒を進めていこう。

「小さな不安と喜び 今日もおはよう」