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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.52 娘の思春期と、私の思春期。

娘の日々の姿を見て、母親である私は考えてみた。

私の思春期は、どうだったのだろうか・・・

夏休みになり、娘と一緒に過ごしている。
とは思っているが、一日中家にいたとしても、いないにしても、そんなに、多くの会話もする訳でもなく、前みたいに、甘えてくることも、グンと減った。

だから、長い時間、一緒に家にいるようで、やることは、バラバラ・・・
何もかもが、私の思う親子での夏休みという理想のようなものとは、かけ離れている。
娘は、オンラインでゲームをするので、年下の子や、都会の子たちとも、話しながら、ゲームをしている。

良いのか悪いのか、羨ましいくらいに、楽しそうにしている。

私は私で、カウンセリングで学んだ、目の前のできる範囲のできることを淡々とこなしている。
いや、実際は、こなせているのかわからないけど・・・

私の思春期の頃は、家庭環境が悪かったせいか、笑うことも、日に日にできなくなっていき、叔母からも、心配されたくらいだった。
それを考えると楽しそうにしている娘は、幸せだな、と思ってしまう。

宿題もやらないし、出かけようと誘っても、家にいて、ゲームをして、YouTubeを見ている方が、何よりも楽しいらしく、一緒に出かけないことの方が増えてきた。
それが、普通のことなのかもしれないけど・・・

親が甘やかしてると言われれば、そうなのかもしれない、そう言われても仕方ないのかと思うし、ゲームとか、取り上げればと、言われればそうなのかもしれない、しかし、色々色々、考えて、やってきた、ここ数ヶ月、これが精一杯の答えだと思う。

これだけ一緒にいて、宿題をやらせることができてない、母親として私はいったい・・・
さすがに、少しは凹む。
もちろん、手伝いも、ほとんどやらない。

私が思春期だった頃は、どうだったのかというと、娘は今、11歳だから、私の11歳の時は、母親が亡くなって1年くらい経ったとき。

母が、この世からいなくなったことに、とても立ち直れなくて気持ちが沈んだまま、地獄のような毎日を送っていたということを思い出す。

今は時代も違うし、ゲームやYouTube、楽しみもあって今の時代は恵まれている。
しかし、それが、私の思春期の時にあったとしても、私の心は満たされなかっただろうというくらい、ひどく落ち込んでいたことには間違いない。


自分の思春期の時に母親という、存在が突然消えた。

突然でもなかったのかもしれないが、10歳の私には突然だった。

10歳の私にはとても耐えれない出来事だった。

そのあたりから、私は腹鳴恐怖症にもなっていったということも、今になってわかったし、いかに、思春期が、多感な時期で、子供にとっても、育てる親の立場からも難しいということが、恐ろしいくらいに分かってしまった。

私が母をなくした時の年齢、娘が10歳までは、どうにか、私も娘のために元気に、いや、色々あったが、どうにか、元気に生きてこれた。

私が生きていれば、思春期という、微妙なお年頃に、娘は、母親である私に、何でも話してくれるだろう的な、膨らんだ何となくのイメージをしていたが、本当のところ、自分の期待していたものとは全く違っていて、思春期特有の、親と離れたいという気持ちと、でも、まだ、不安で、いつでも頼れる位置にいてほしいのが、娘の今の気持ちではないだろうか。

機嫌が良く、色々話すこともあるにはある。
病院に行く時の車の中とか・・・

まあ、よく、『 うざ!! 』とかも、言われますが・・・
それも、極々、普通の思春期の子なら、言いそうなことです。

上2人の息子の時も、思春期はあったんだろうけど、男の子と、女の子では、違い、女同士は、育てにくく、難しいという話も聞きます。

でも、これが普通なんだと、現状を受け容れるということは、今の私だからわかること。

こういう時期なんだと受け容れ、試行錯誤しながら、まだまだ続く思春期を、楽しむくらいの気持ちで過ごしていきたい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました^ ^


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