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You Were There ”ICO”名作分析 第二回

名作分析とは?

主に一つの作品をピックアップして、その作品の何が評価されているのか
について分析、解説するコーナーです。
筆者がゲームを主に取り扱っているので、ゲーム中心の話になります。
できるだけタイムリーな作品を取り上げたいと思っています。

今回は、10/5からNHK総合1で放送される”ゲームゲノム”で上田文人氏の作品が取り上げるそうなので、その中でも自分が最も気に入っている作品である”ICO”を取り上げようと思います。

ICO高評価のポイント

圧倒的没入感
圧倒的実在感

ICOとは?

ICO (イコ)
ワンダと巨像”や”人喰いの大鷲トリコ”の作者である上田文人氏の処女作
角の生えた主人公の少年が、城の中で出会った、言葉の通じない、囚われの白い少女の手を引きながら城からの脱出を目指すACTADVゲーム。PS2,PS3で遊べる。
手をつなぐ”ことが本作の肝であり、本作のキャッチコピーは、
この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから”

圧倒的没入感

ICOには、同時代の他の3Dのゲームには見られなかったとある特徴がある。
それは、

UI(ユーザーインターフェース)の排除

ゲームにおけるUIとは、HPゲージや、ポーズなどの表示のことである。

ICOでは、セーブの画面などを除いて、ゲーム中の体験を形作る部分からは一切のUIを排除している。

一度でもゲームを作ったことのある人ならわかって頂けるかと思うが、
UIの表示なしでゲームを成立させることは極めて難しいことである。

実際に自分も、自作ゲーム”RESHOOTING”の開発時に、泣く泣くスコア制を導入してゲームを成立させたことがある。

このUIというのは、ゲームをゲームらしくしている要素の内の一つである。

UIを取り除く。それすなわちゲームらしさを消すことである。

UIがなければ、プレイヤーは、ゲームの中の世界を余計なフィルターを通すことなくダイレクトに見ることができ、その世界があたかも現実にあるかのように感じることができる。

つまり、

UIを排除すること=没入感を高めること

となる。


UIを排除してゲームを成立させることは困難だと述べたが、ICOでは当然、それを可能にする工夫がなされている。

その工夫とは、主人公の少年の護衛対象である少女を””を基調とするデザインにし、少女をさらおうとする敵キャラクターを””で描くことで、ゲームシステムを説明をされなくてもプレイヤーがゲームシステムを理解しやすいようにしたり、敵かそうでないかを瞬時に判別しやすくしたりといった工夫だ。

余談だが、少女と少年の身長を比べた時に、少女の方が背が高いのは、視認性の観点からの配慮ではないかと個人的には思っている。


ICOの世界の描き方に関しては、特出すべき点がもう一つある。それは、

ハードの制約を、世界観づくりに活かした

ICOで登場する”霧の孤城”は、ハードの制約から生まれたといって差し支えないだろう。

ICOは、元々PS1向けに開発されていたこともあり、遠景を描くことが難しかったはずである。

そこで、遠景が描けないならをかけようということで霧をかけたのだろうし、霧をかければ遠景を描かなくても良いように、城の周りには何もない、孤城というロケーションにしたのであろう。

現実世界において、”霧の孤城”というロケーションはおそらくないであろう。
(モンサンミッシェルに霧はかかるのだろうか…)


まとめると、

限りなく現実に近いけど非現実なロケーションに深く没入できる

という点で、ICOは高く評価されたと言えるだろう。

そんなゲーム、ICO以外にもあるだろうと思ったそこのあなた、そういったゲームは今の市場では珍しくないですが、その手のゲームはもれなくICOの影響を受けています。ICOはそういったゲームの原点である と覚えていてください。
ICOの発売後数年は似たような作品は発売されていないはずです。



圧倒的実在感

上田文人氏の作品と、上田文人氏の作品に影響を受けた作品との大きな違いは、作品に登場するキャラクターの実在感にあると考えている。

ゲームには、ゲームらしい動きとされている動きが多数ある。
ゲームでよく遊ぶひとは、そのような動きこそが自然であり、そうでない動きは不自然だとみなす。

ICOのキャラクターの動きは、ゲーム的に見れば明らかに不自然である。
だけど、他のどのようなゲームよりも現実世界における自然に忠実である。

プレイヤーが先に進む上で障害となる段差を、
マリオはお得意のスーパージャンプで乗り越えるかもしれないが、
ICOでは、段差の高さに応じて、人間が行う最も自然な乗り越え方をする。

それに、ICOの主人公に少し無理のある動きをさせようとすると、
すぐにこけてしまう

こういった、一挙一動をみていると、彼らが生きているのではないかと錯覚してしまう。

そして、本作において最もキャラクターが生きていると思わせてくれる要素はやはり、

手をつなぐ

ことであろう。

主人公の少年が、少女と手をつなぐと、コントローラーを通じて、プレイヤーも少女の手の震えを感じることができる。

そうするとプレイヤーは、この手を放すまいと手をつなぐ操作が割り当てられているRトリガーをより強く握りしめるようになる。

そのうちコントローラーも温まってきて、少女の手の温もりを感じることができるようになる。

少女の手の震えや温もりから、プレイヤーは少女が生きていると錯覚を起こしてしまいます。こんな作品、ICO以外にありません。

でも人間は、一個人として意思を持っているわけで、ただ手を握られるだけの存在ではありませんよね。

では、この少女が少年と手をつないでいないときがどのようであるかというと、

意思を持ちます。

!?

そこら辺を飛んでいる蝶に興味を示したり、城の仕掛けに気づいて、主人公に身振り手振りで”こうじゃない?”と伝えてきたり、自由奔放です。

こうした姿をみると、ますます生きていると感じてしまうわけです。


まとめると、

画面の中で少年、少女が生きているように感じられる

という点で、ICOは高く評価されたと言えます。

キャラクターが生きているように感じられるのは、上田文人氏の作品の持つ個性の一つで、”ワンダと巨像”や”人喰いの大鷲トリコ”でも感じることができます。

その中で、ICOだけの持つ魅力は、やはり”手をつなぐ”ことで生を実感できる点だと強く思います。


まとめ

ICOは、
限りなく現実に近いけど非現実なロケーションに深く没入でき、
その中で、少年、少女が生きているように感じられる点

が強く評価された。


ちなみに、ICOは、今までの人生のマイベストゲームTOP3に入る一押しの作品なので、色々な人に遊んで欲しいと思っています。

筆者のぼやき

画面の中で少年、少女が生きているように感じられた = You Were There 
粋だね。

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