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昔から「考える」ことが苦手だ。

なぜなら、物事には「答え」があると思って生きてきたから。実際には「答え」というものはないが、その時々の「最適解」があるのだと気付いた。答えは1つだが、最適解は複数存在するイメージ。

「答え」だけを求めていた学生時代。思い返すと、答案用紙を満たしてくれるただ1つの「答え」を出すためだけに何かを頭に詰め込んでいた。それもただ覚えるというユニークさの欠片もない根性論丸出しの方法で。

自分で考えなければいけない状況においては、考えるのを放棄していた。親や周囲に頼っていた。流されていた。周囲の意見の中で、自分が行いやすい行動を選んでいた。取捨選択といえば響きはいいが、反対や否定が怖かっただけだ。今でも怖い。

何で怖いのか?
否定が反対を自分が否定・反対されたと受けとってしまうからだ。そう、あなたの意見は間違っていると。あくまで、自分の意見に対して反対なのに拡大解釈をしてしまう。分かっていても長い間しみついた癖をとりきれていない。

意見と感想は違う。
これも、感想になってしまった。
考えがあるのなら自分の考えを言えるようになりたいと思っている。
いつになったら自分の意見が言えるようになるのだろうか?
と、目をこすりながら考えている。

なんだかなぁ~

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