陰陽
私の学生時代は暗かった、と思う。入り組んだ性格をしていたので――幼少の頃から人の表情や言葉の裏を読み取る癖があり、冗談をただの冗談で終わらせられなかったり、笑顔でコーティングされた真意に傷ついたりなどしていた――心から青春を謳歌した覚えがない。
この非常に独りよがりな性質は、私の日常を変形させていった。私の歩む道筋は、歪にねじ曲がった険しいトンネルのようになっていった。
よく思ったものだ。この先、60年も70年も、死ぬまで、この歪んだ暗いトンネルは続いていくのだな、人の顔色や声色の裏側を探りながら、傷つきながらずっと生きていくしかないのかな、たまらないな、と。
しかし、時は経ち、私も表面上の進化を遂げる。笑顔でコーティングする術を身に着けていったのだ。大学のあたりからだろうか、仮面を被った人間の投げる球を生身で受け止めるのは無謀過ぎたのだと悟った。
私もいくつかの仮面を用意した。複数の仮面を、相手によって瞬時に付け替えるようになった。
仮面越しに、仮面を着けた相手を見据える。大人になるとはこういうことかと思った。生きるのがだいぶラクになった。
―――
長男が生まれた。私は少し同情した。この世は楽園じゃない。この子も無防備に傷ついたり、やがて仮面を被ったりするのだろうか。生まれてきて、幸せなのだろうか。
特に――ふと、仮面を持たずにずたずたに破れながら歩いた日々を思い出した――思春期なんて最悪だ。あの日々を、この子も送るのか。あのねじ曲がったトンネルの中、終わりの見えない暗闇を歩くのだろうか。
この子をこの世に引っ張り出したことに、罪悪感を覚えた。
―――
この夏、彼は12歳になった。
12歳といえば、とっくにトンネルが見えていた年頃だ、と私自身を振り返る。
彼はこの夏、仲良しの女子と夏祭りに行き、男子グループで隣町のプールまで電車で出掛けた。
明るく育ったと言うつもりはない。私のように育たなくて安心したと言うつもりもない。
彼の中にも、苦しみはあるし葛藤はある。闇はあるし穴もある。それが見え隠れすることもある。彼は陰と陽を併せ持つ日常を生きている。
彼を見ていて思い出した。
私だって、あの頃、恋をしていたし、少ないが友人もいたし、挑戦をしたり破れたり復活したり満たされたりしていたではないか。
深い陰と、鮮やかな陽との狭間で必死になんとか生きていた。
トンネルは陰と陽の力でねじ曲がっていたのだ。
あの暗い日々の中にも確かに色は満ちていた。息子を眺めながら、ちゃんと認めようと思った。この世は地獄だが楽園でもあると、そろそろ認めようと思った。
ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!