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一人の夜

 先週の #お花の定期便 で書いた『決意表明』。小説講座の先生の一言で目が醒め、絶え間なく挑戦すると決めた、という内容のエッセイだった。
 こういうのを書くと、途端にどうでもいいことを書きたくなってしまう。今週の私は、跳ね上がった反動をしっかりと感じている。

 昨夜は、夫が久々に夜勤でいなかった。子供たちが寝静まった頃、私はいそいそとクローゼットからでかい箱を取り出した。こんな夜に私がやることと言えば、こういうこと。
 物音を立てないようにと息を潜めながら箱を持つ。歩き出す際に、クローゼットの角に足の指をぶつけた。ガコンッと音がして痛みに悶えながら振り返る。子供たちは微動だにしない。吐息が喉から漏れる。起こしてしまったら大変だ。なんたってこれから私は露出するんだから。母親のそんな姿を見たらトラウマになってしまう。起こさないように、慎重に、箱を運んだ。

 子供が起きてこないうちにとパジャマを脱ぐ。私は付属のサングラスを嵌めた。視界が抹茶色に染まる。レンズが渋い緑色なのだ。トーンの落ちた視界の中で、リモコンを手繰り寄せる。録画一覧画面を呼び出す。
 あった。『万引き家族』。再生ボタンを押す。
「最初から再生」
「前回の続きから再生」
 二択が飛び出す。
「続きから」
 呟きながらボタンを押すと、急に妖艶なシーンが始まった。
 数日前のこと。洗濯物を畳みながら『万引き家族』を鑑賞していたら、突然、画面の色味が変わった。家族の長女的存在、亜紀のバイト先のようだ。亜紀は、女子高生の制服を着て、マジックミラーの向こうの客のリクエストに応えている。
 ゲームに夢中の子供たちが居合わせる部屋のど真ん中に、突如として現れた艶めかしい店に、私は思わずリモコンを掴んだのだった。

 この夜、妖艶な店は、抹茶色に覆われながらではあるが、無慈悲に切り落とされることなく、営業を続けている。
 私は箱の中から機械を取り出した。プラグを挿し込む。ランプが点いた。強弱調整ボタンを押す。「強」寄りの「中」。間違っても「最強」にはできない。
 丸みを帯びた器具を持ち上げる。その平たい面を足首に置き、ボタンを押した。
パチン!
 強い閃光が弾けて、視界が白くなる。光は飛び去り、じんわりと抹茶の渋色が戻ってくる。器具分の幅をずらしてまた皮膚に置く。
パチン!
 光は一時間以上掛けて私の全身をくまなく焼いていった。 
 画面からは、あらゆるものが一筋の糸に撚り合わされた形でつうつうと流れてくる。痛みや抱擁や、涙やセックスや、偽りや本物が、淡々と流れてくる。パチン、パチンと弾ける熱を感じながら、抹茶色した安藤サクラに泣いた。
 ティッシュで涙を拭きながら、パジャマを着直す。鼻を啜りながら、脱毛器具を箱へ戻す。
 その後は濃い沈静に潜り込むようにブランケットとソファの間に収まって、万引き家族を観続けた。濃い闇だった。私にはこういう時間が必要だ。

 昔からそうだった。一人で旅をしたりカフェや映画館に行ったりする。一人きりで沈黙しているのが好きだ。
 一人で沈黙しているとき、私は暇なのではない。想像と妄想と仮想の波に揉まれているので、脳と心は結構忙しい。目まぐるしく回っている。しかし、目や耳、肌や口などの諸々の機能は闇に委ねられ、ゆったりと休んでいる。このアンバランスな状態が心地よい。
 気味が悪いと思われるかもしれないが、トイレやシャワーで電気を点けないのもそういう性分からだ(自宅に限り)。トイレは窓から差し込むぼんやりとした街灯で十分だし、シャワーは脱衣所のぼんやりとした電気で十分。私はすぐに色や音で疲れてしまうのだ。特に、一日中動き回った後の夜時間はやはり闇を求めてしまう。

 今度の一人の夜はいつだろう。夫との会話も、子供たちの笑い声も好きだけど、やはり一人きりの時間は良い。
 次はネイルだな、と考える。そろそろこのラベンダー色を落として、マイルドラテのような色にしたい。
 一人、静かにジェルネイルをしながら、また映画でも観たいなと思う。映画は、そうだな……大学の頃に観たあの作品をもう一度。
 土砂降りのシーンが良いんだ。覆い尽くすカーテンのような大雨を真っ直ぐ突き抜けるクリント・イーストウッドの目が良いんだ。小刻みに揺れ動くメリル・ストリープの目が徐々に濡れていくのが良いんだ。
 あの頃は、イーストウッドの胸に飛び込まなかったストリープにのたうち回ったものだけど、今なら
『わかるよメリル……』などと深く頷いたりするのだろうか。



会社の近くの公園で休憩
ウクレレを弾いている人
オカリナを吹いている人
走り込んでいる人
私はエッセイを書いている人


〜 #お花の定期便 (毎週木曜更新)とは、
湖嶋家に届くサブスクの花束を眺めながら、
取り留めようもない独り言を垂れ流すだけの
エッセイです〜








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