見出し画像

冷え切った故郷

 「大丈夫だった?地震。」
 朝のロッカールームで私の顔を見るなり、同僚が口を開いた。え、地震…、地震ありましたっけ…、と動揺する私に、
「実家、実家!あれ、実家、青森だったよね?」
と、彼女は私の泳ぐ目を覗き込んだ。
そういえば、朝のニュースで言っていた。青森で震度5弱。
「あぁ、大丈夫そうです、ありがとうございます。」
コートをハンガーにかけながら、笑顔を渡し笑顔を受け取った。
 大丈夫かどうか、私は知らない。安否確認の電話をかけることもない。かけたところで、明るい電子音が冷たく鳴り響くだけだ、永遠に。がらんとした空洞のようなあの家。私はあの家を、実家と呼んでいいのか分からない。

           丨

 私は青森県のある町に生まれ育ったが、そしてそこには兄弟や両親とわいわい過ごした平屋があったが、それが轟々と燃え盛るのを見たのは高校一年生の頃だった。ふらふらと家に駆け寄り消防士に抑えられる父の姿が、いつか見た一枚の写真─ひとり完成させた新居の前で見せたハタチ新米大工の誇らしげな笑顔─に重なり、ぶれた。

 消防車から放たれる大量の水を浴びてびしょ濡れになった黒焦げの枠組みは、同情や哀愁も寄せ付けないほどに『無』だった。ちらつく粉雪、濃紺の寒空、真っ白な雪道、オレンジの炎、そして真っ黒な木枠。
 その黒は、まるで笑うことや騒ぐことを一切禁じるような色だった。私達は、押し黙ってこの世の底まで沈んだ後、ひっそりと息だけをした。
 明けましておめでとうと乾杯をしたのは幻だったか。世界が暗転したのはその僅か数週間後のことだった。

           丨

 朝が来れば日が昇って世界は明るさを取り戻す。雪もすっかりやんで見渡す限りの静かな銀色は朝日を反射して美しかった。その中で異様なほどに浮かび上がった黒い枠は、少しずつ蝕まれるように取り壊されて、やがて跡形もなく消し去られた。
 父はもう一度この場所に家を建てると言った。古いとか暑いとか寒いとか文句を言われ続けてお前も面白くなかったろう、とまっさらになった空き地を見てつぶやいた。今は亡きあの平屋にそうつぶやいた。子供を先に亡くした親はこんな目をするのだろうかとふと思った。

 そこから父はぐんぐんと新しい家を建て始めた。十五で弟子入りし、今や棟梁となった男の底力を見た気がした。
 ある日、今日は家を見たか、と父に聞かれた。仮住まいの家から徒歩圏内だったので、見に行こうと思えばもちろん行けたのだが、通学路とは反対方向だったので、私はわざわざ見に行くことをしなかった。
 面白いから時々見に行ってごらん、一日一日どんどん変わっているから。どんどん成長する子供みたいで面白いから。
 あぁ、うん、と答えつつ夕飯を口に運びながら、やはり家は彼にとって子供なのか、と思った。

           丨

 高校二年になっていた。灰と化した制服は早々に処分して、母の知り合いの娘さんのお下がりを着て登校していた。
 あの土地には、以前住んでいた昭和の平屋とは違う平成の二階建てが出来上がった。誇らしげに家の前に立つ父の後ろ姿を見たら白髪混じりなのに気づいた。
 これからはこの立派な二階建てに住む。そう家族全員思っていたのに、思っていたはずなのに、今ではあの家は誰も住まない空き家だ。         

 私達子供達が巣立ち日本の北や東に散らばって、夫婦の仲がこじれて母が家を出、父も他の人を選び家を出た。あの家は、あの雪深い地で独りぼっちだ。それでも毎年盆正月だけは、日本各地から皆が集まり、あの家は数日間温まる。しかし、昨年は自粛生活で誰も帰れず、あの家はずっと独りだった。ずっと、冷え切っていた。

 人間とは不安定でうつろいやすく、恐ろしいほど幼稚な生き物なのかも知れない。決意や意志にも似た約束は、実は弱々しい糸のように頼りないのかも知れない。そんなことに気付かされたりする。特に、孤立してもそこに無言で立ち続ける不動の何かを見たときには。

           丨

 
 今年は初めて家族そろって、ここ関東で年を越した。家族といっても私達夫婦と子供と母と弟。東北の兄や父は居ない。しかしそれでも、小さな貸家に大人四人、子供三人。十分賑やかで、十分うるさかった。

呑み書きに引き続きここでも登場、ステラアルトワビール。クリスマス金曜トワライト総合大賞を頂いた際の嬉しすぎる賞品。家族の年越しに煌めきを与えてくれました。(素敵過ぎるペアグラスは割れるのが怖すぎて自宅でお留守番してもらいました)

 すき焼きの鍋に牛脂ですぅっと線を引く。美しい朱色の牛肉を箸でそっと持ち上げようとして、パックのラベルに目が留まった。心臓が反応してしまうのは、あの町名が私のアイデンティティの一部であることを示しているのだろうか。デザートに、と出てくるのは故郷の林檎。飛び交う懐かしい訛り。話題は関東には降りもしない大雪。
 縁も所縁もないこの関東の地に流れ着き、ここで身を寄せ合って生きる私達は、あの家を思いながら年を越す。

 春になったら草むしりに行がねばなぁ。んだなぁ。家の裏のドクダミ?あれすんごい伸びるっきゃぁ。取っても取ってもおがってくぅすけなぁ。

 ビールの薫りに子供たちの笑い声が溶けてゆく。コタツの穏やかな温度にあの家の姿が揺らめく。
 一瞬、なんの脈絡もなくこの胸の内が少しだけ陰った気がした。

 電車と新幹線と車を乗り継いで遥々向かう目的が草むしりだなんて。
 『情』だ。情でしかない。私達の情があの土地にあの家にこんなに結びついている。その事実に私は小さな陰りの中で気づいた。
 電気もつかず人の声すらしない、冷たく冷え切ったあの空き家こそが、私達の故郷だ。その事実をやっと真正面から見つめたのだった。

ぇえ…! 最後まで読んでくれたんですか! あれまぁ! ありがとうございます!