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20歳最後の1ヶ月

2月29日。

こんにちは。こんばんは。
本日は私の20歳最後の1ヶ月のはなし。
いつも前置きが長くなるので今回は短くいきます。気になったタイトルから読んでみて下さいください。


卒論発表会

2月に入ってから私の考え事といえば、ゼミの先輩達の卒論発表会の準備についてでした。
6人分の先輩達の卒論を同期6人で割り振って卒論発表会での質問をしなければならず、どうしようかと少し悩んでいたのです。
数日前に同期と集まり、何時間もかけて論文を読み、質問を幾つか考えました。
読み終えてから1年後は、私が卒論を書き終えていなきゃいけなくて、発表する側になっているのかと不安になりました笑

私が担当したのは1番卒論に悩んでいて、ギリギリまで修正を加えていた先輩の論文でした。 
丁寧に書かれた文章と彼の今までは感じなかった社会への意見は、後輩として素直に凄いなと感心。
当日。緊張している先輩とそれが移りそうな私。1番最初に仲良くなったその先輩の頑張っている姿はすごくカッコよかったです。
無事終わったので一安心。

卒論発表会の後は次に入ってくるゼミ生との顔合わせをして、夜は先輩方と打ち上げ。
途中から私の大好きな先輩2人に人生相談に乗ってもらって、同期のバカな話を聞いて、大熱唱して。とっても楽しい夜でした。
先輩達の卒業が寂しいのでこっちにいる間にまた行く予定です。

結局3次会まで行ってた、、ちょー楽しかった

4人でご飯に行こうね

卒論発表会の次の日、出張でこっちに来ていた父親とご飯に行きました。
大通りの裏手にあるうどん屋さんを見つけ、そこに入りました。弟の私立受験が丁度あったくらいで、「後1ヶ月後には受験が終わっているね。どうなるかなー」と不安そうに話す父。実家に帰っても予備校に通う弟に会うことは少なかった1年。思春期なのか、父親と話さなくなった弟。家族揃ってご飯なんていつ行ったのかわかりません。
「〇〇が合格したら4人で家でご飯を食べようね」「百はお金は気にせずやりたい事をやって良いからね」「〇〇は合格して家を出たらもう、帰って来んやろうなー」
家族のことを心の底から大切にしてくれていて、大事に思ってくれてるって伝わって、いつもはうるさいなーと思う父だけど、頼もしく優しい人だと感じました。

本当は弟とも話したいし、帰ってきて欲しいだろうから春がきたら4人でご飯に行きましょう。

いつもありがとう。

6年目の親友と

父と別れた日の翌日。
朝5時に起きた私は港にいました。
何故かって?
親友との集合先に行くためです。目的地は島。
夏休みぶりに再会した親友は相変わらずちょーマイペースの美人さん。
集合してからホテルに行って、島のご当地を食べに行って、そこで何時間も話して、車も借りなかったので歩きながら、話して、カフェに入って話して、居酒屋行って、話して、ホテル帰ってから深夜まで話して、歌って。
今振り返るとそんなに話すことあった?って感じだけどあっという間に大学4年生で、2人とも大変な1年になりそうだねって落ち込んでお互いに励まし合いました笑
わざわざ島まで行ったのに笑 まあご当地料理と有名どころは何となく巡ったので(徒歩圏内)満喫したということで。

高校の入学式の日に出逢ってから早6年になろうとしてるね。
これからも変わらずよろしくね!

2人とも終わったら遠出しようと誓った夜!

花の都にて

彼女と別れてまた、船に乗り帰った次の日。
私は大学でできた友人と関西空港におりました。それは私の20歳の目標である「ヨーロッパ旅行に行く!」というのを叶えるため。
とはいっても週3のバイトで貯められるお金で行けるのは精々1カ国で。選ばれたのは"イタリア"でした。11月くらいに彼女に声を掛けてからあっという間に当日に。決まってからはほぼ週2くらいで授業終わりに集まって旅行の計画を立てて買い物して準備してきました。
友人と1週間以上の旅に出るのは初めてで緊張していましたがそんな緊張必要なかったです笑
ほんとにほんとに楽しくて幸せでした。

イタリアの有名な4都市に行きましたが
1番私が惹かれたのがフィレンツェでした。
街自体が世界遺産といわれているその街の景色と人々とお店と全てが素敵でした。
花の都"Flolence"。いつかまた訪れます!

だいすきな街

17時間のフライトに耐えて辿り着いた先は
沢山の歴史と文化で溢れた素敵な景色がありました。ローマもヴァチカンもミラノもヴェネツィアもこんなに上見たことあるかな?ってくらい壮大なものばかり。
20歳の夜をこの国で過ごし、21歳をスタートできたことは本当に嬉しかった。
また次の旅に出るまで頑張りたいと思います
(節約生活とバイト‼︎)
旅の話も写真も沢山あるけど、語りきれないのでまたいつか!

ローマの街並み
水の都 ヴェネツィア


孤独を救ってくれたバンドへ

イタリアから帰ってきてからすぐに私は私を救ってくれたバンドへ会いに行きました。
夏以来の再会で、この土地で彼らに会うのは2年ぶりで。初めて彼らの曲を聴いて、私の人生の一部分を変えるような出会いをした瞬間をライブ中何度も思い出しました。
いつからか彼らの曲を聞かなくなっていたはずなのに曲がかかれば手が上がってて、体動いてて、私の目の前で大好きなギターを弾く彼はやっぱりカッコよくて。眩しくて。
何だこの曲名とか正直思ってた曲もライブで聴いたら歌詞がグサグサ刺さって。
この4人以上に真っ直ぐな歌詞と言葉をくれるバンドはいないと何度も思いました。だから、また孤独になって、拳上げたくなったら、ライブハウス会いに行ってもいいですか?というか、会いに来て!!笑

どんどん大きくなっていく彼らを多分ずっとどこかで応援しています。
死ぬ間際の走馬灯になりそうな夜をありがとう。ほんとにありがとう。

🎸


これから仲良くなれるかな?

2月最後の私のイベントは、大学で仲良くなった6人との集合。空き部屋を借りて、ピザとマックをUberして、昼から夕方まで話して、何故か、UNOして、ワードウルフして。
彼女達は大学の講義で仲良くなったのですが、特にその中の3人はいつも一緒に授業を受ける仲。3人とも優しくてギャップありまくり。正直3人とも最初は怖くて、絶対関わらない方がいいタイプだと思ってた笑
けれど、いつも私のことを受け入れてくれて、あったかくて、いつの間にか心を許すようになっていました。2年生の頃からの付き合いだけど、話していても3人ともどこか距離があるって感じることがあって。今思えば、みんな自分の心をどこまで開くのか、話すのか、だいぶ慎重だったのです。
でも、この日の夜、サブ垢のフォローが3人からきました。私は持ってなくて、みんな持ってるんだろうなーとは思っていたけれど聞きはしませんでした。でも、みんな本当にフォロワーの人数少なくて、こんな事で思ったっていったら少しカッコ悪いけど、ほとんど高校の友達にしか見せない彼女達のプライベートな姿を見られるくらいの仲になれたのかな?って嬉しくなりました。
で、LINEで3人に「私サブ垢ないけど、全然ストーリー上げないけど、ね、」って正直な気持ち話したくなって、迷ったけど結局、3人に送って、「本当は4人でもご飯行きたいんだよね!」って伝えて。
そしたら、すぐ、「絶対行こうね!!」
「何いってんのーーー!あたりまえ!」
って返信が来て。
なんか、すごく嬉しくてあったかくなりました。2年生の最初、彼女達と出逢った時は関わらないように関わらないようにって、お昼も1人で食べて、講義終わってすぐに家に帰ってたのが信じられないくらい。
あの時、話してみて、関わる機会に自分の素で行って良かったと心の底から思いました。
今では彼女達と会える授業が少なくなることがすごく悲しい泣

4人でも7人でも定期的に集まろーね。
仲間に入れてくれてありがとう。

UNOはイタリア語


21歳

沢山の人と出逢い、沢山の景色を自分で目にしてた1年。私にとってすごく意味のある1年でした。まだまだ人生長いけれど、まだまだ、行きたい場所も見たい景色もあるけれど、まずは、自分の将来に向けて地に足つけてもがいて苦しんで、時に夢を見ながら頑張ります。

沢山の出逢いに感謝して。

21歳も
素直に真っ直ぐ、
私らしく生きていきます。





それではまた。

百。



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