見出し画像

大人になろうとした夏

8月17日。

こんにちは。
この投稿を開いて頂きありがとうございます。

お盆も終わり、私も帰省先から帰っているところです。大学3年の夏休みは8月末から集中講義が続き、ほぼ1ヶ月。
8月半ばですが、ここまでの私の夏を記そうと思います。 だいぶ長いので気になるタイトルから読んでみて下さい。

今の居場所

試験期間が終わってからすぐにお疲れ様会が4個程(全部違うメンバー)続きました。

歌っては飲んで、飲んでは、話して。
バーベキューした時は、自分たちで火を起こしました。小学5年生の自然教室の飯盒炊爨以来、落ち葉をかき集めました笑
(火を起こすのは大変なのです)

皆んな疲れてきて、最後には一人一人の名前の由来を言っていくという謎の流れになったり
カラオケで全力で友人に合いの手入れたり
同期の運転が荒すぎて車内でジェットコースターみたいになったり
私の家で永遠に同じ話をして晩酌したり

正直大人数で遊ぶことに対して苦手意識があったけれど、私がカラオケで熱唱したって、変な合いの手入れたって、疲れて無言で居たって、優しく見守ってくれる人達。
先輩も同期もほんとに大好きです。
普通にしてたら意味のないようなことが
楽しくて楽しくて仕方なかったですね笑

後期もまた、行きたいです。


カラオケ行った後の


カラオケ集合

地元の友人達には殆どゴールデンウィーク以来に会いました。
何人かと会った中で1番印象に残っているのは
高校時代3年間同じクラスだった3人です。

毎回集まろうってなっても結局地元のカラオケになるんですが、なんと毎回午前11時から午後20時までの9時間歌いっぱなし。
そして、4人とも誰かに合わせることはできるけれど我が道行くタイプでして、
4人で行ってるはずなのに7時間1人ずつ曲入れて歌い続けます。(自分しか知らない曲多め順番も決まっています)
お昼ご飯は、持ち込みOKのカラオケであるのをいいことに、全員持参。
今回は、巻き寿司、サラダ、お好み焼き、焼き芋という4品が並んでおりました。
ちなみに自分以外が歌っている間は他3人は基本的にスマホ見ながら鼻歌歌うか、変な合いの手入れてるかですかね。(主に私)

そんなカラオケでの集合。お互いの近況は所々で共有。これ全然楽しくなさそうに感じるかもしれませんが、4人とも歌うの大好きなんでちょー楽しい。4人とも共有済み笑

私の合いの手を難なく交わし、こんな風に気を遣わず居られるそんなこの空間が私は大好きです。しかも近況話す時は全員歌うのをやめ聞くのに徹底🤭

また年末ね。



先生


先生というのは高校時代の先生と中学校まで通っていた習字教室の先生。

高校時代の先生は休みのたびに連絡しているのですが、会ったら6時間は2人で話すくらいの仲。そんな長い時間、何を話しているのかというと、会ってない数ヶ月と今の私の話、先生の近況と将来と、家族とハマってるアニメ、本などなど、。解散する時間には話した内容の半分も思い出せないのですが、先生に会うとなぜか口が止まらないんです。

これは先生と出会った高校時代からなんですが、先生は私が「自分の考えが正しいのかわからない」と尋ねても
その考えが正解か不正解かではなくて私自身が自分で決めるための材料(考え方やその事象の両面)を答えてくれる人でした。私は最初そうやって、答える先生に「はっきりと正解か不正解か、何が正しいのかを示してほしい!」と感じていましたが、先生は、「誰かの意見に対して正しいと決める事なんて出来ない」という想いを持ってると知った時に、本当の意味で私の意志を尊重してくれてると感じて、そんな先生に、大人に会ったのが初めてで大好きになりました。


私が悩みを打ち明けると
「ニーチェ〇〇と調べなさい」と言ってそれ以上何も言わなかったり、
(ここで私が予想していた言葉は「そうだね、私は〇〇だと思うよ。」)

呪術廻戦にハマっているというと
「『呪術廻戦』は、アニメを見た人に『呪術』という言葉を言えるようにさせたという点で功績を残していますね」
と言ったり、
(ここで私が予想していた言葉は「面白いよね!~」)

どんなことを言っても私が予想する言葉を遥かに超えてくるのです。

彼女は私にとっては多分一生先生で、私の人生の分岐点で出逢った人で、今の私の考え方に大きな影響を与えた人。(先生のお陰で変わったって言っても過言ではない)いつも私が分岐点で迷ってる時にそっと、背中を押してくれます。
先生からもらった言葉は、先生にとって何気ない言葉でも私にとって全て宝物です。


駅の時計の裏側が見えるカフェ



2人目の先生は習字教室の先生。

習字教室に通い始めたきっかけは、字が綺麗で習字の授業の時にいつも褒められる同じクラスの女の子に憧れたこと。
先生が自分の家で開いてる教室で、当日小学1年生から高校3年生まで20人くらい生徒がいました。

習字教室なので字の書き方を教えてもらうのはもちろんですが、先生は挨拶や道具を大切に扱うこととか生きる上で親以外から中々学ぶことはない、大切なことを教えてくれました。
教室には私だけ同学年の子が居なくて、必然的に年上と年下と関わることが多かったです。
当時小学生だった私には高校生のお姉ちゃんやお兄ちゃんがカッコよくみえて、勉強も部活もしながら通ってる姿に憧れて同じ高校に行きたい!って思ってました。

先生の家の周りには庭があって、花が植えられていてたまに新聞紙に包んで貰っていました。
クリスマスには先生の家でクリスマス会、年始は、書き初め、七夕には願い事を書いて、小学3年生の頃から中学3年まで通いました。

そしてこの夏、大学入学を知らせに行ってから無性に先生の様子が気になって、会いたくなって、2年ぶりに会いに行きました。
突然行った私を笑顔で出迎えてくれて、
教室に入ると私が通い出した時と変わらない、半紙と字と墨の匂いでいっぱいの場所でした。「ちょっと待ってなさい」と言って
お茶と先生が漬けた梅干しを持ってきてくれて。字が綺麗になりたいという気持ちで始めたけれど、それ以上にこの習字教室は私の居場所でした。憧れの先輩達に、私の部活の悩みも好きな漫画の話も全部、教室が終わった後に聞いてくれた先生。

先生はもう80歳を超えているのにそんなふうに見えないくらいすごく元気で今でも教室を続けています。生徒全員の名前を覚えてるし、小学生から高校生までの子どもと字を書いています。中学生の時から老後は先生のように習字の先生になって好きな和歌や言葉を教室に貼って、近所の子ども達と字を書いて暮らしたいという夢があります。

そう私が思うくらい素敵な場所で、私の原点です。
先生は私の憧れです。次はお姉ちゃん達を連れて顔出しに行きますね。

先生からもらった梅干し


我が家族

浪人生の弟が地元に帰ってきた友達とご飯に行くからといった日、私と父と母と居酒屋に行きました。
休みの度に3人でご飯に行ったり飲みに行ったりするのですが基本的に弟の話か父の仕事の話、母の天然エピソードに父と2人でツッコミを入れるといった感じです。
とはいっても、大学3年生になってからは私の卒業後の話が出てきます。

私は大学卒業後したいことがあるのですが、
それは私が所属する学部の中でも珍しく、自分でも周りに同じような人が居ないことに不安を持つこともありました。

   「どうしてその仕事をしたいの?」

と、自分の将来を話す度に聞かれて、私自身

なぜ、自分はそれをしたいのか、その道を選ぶのかを考えることが多々あったのですが、私はそのことについてこの夏まで、なんとか目の前にいる相手を納得させる理由付けをしなければと半ば無理矢理考えてしまうことがありました。

そして、この日、父と母にそれを聞かれて私なりに考えた、自分が何故、その道を選ぼうとしているのか、何がしたいのかを話しました。

現実的な父は私の話を聞いて、
「でも結局さ~」と話し出します。

それは私がこれまで考えてきたこと。
「でも、結局その道を進んでどうするの?」
「でも、結局それ以外の道が良いんじゃないの?」
     「なんでその道なの?」

友達に「将来どうするの?」と聞かれてもこうやって、「でも結局~」と、理解されないこと、自分の中でも確実に持てていないものに触れられるのが怖くて何となく流していました。

だけど、父に言われたとき父と母だけにはわかって欲しい、私自身がまだ分からないと思っていることも含めて受け止めて欲しいと思い、
「それでも、私は、」と途中から涙流しながら話していました。

父と母は、私の話を最後まで聞いて
「想いは伝わったよ。泣きたい時は泣きなさい。そうやって何回も真っ直ぐ伝えてきて良いからね。応援してるからね。」
と言っていました。


泣きながら両親に自分の進みたい道を話したとき、もう、その道を進みたい論理的な理由なんて探したってないのかもしれないと思いました。私の友人も両親も先生も誰もを納得させることのできる言葉など無いということに気づきました。何故なら、彼等ではなく、私が望む道を進もうとしているから。

どの職についたって、どの道に進んだって、
上を見ても下を見ても横を見ても沢山に人が居て、"私だから"できるなんてこともなくて、
どんなに進んでも、立ってもどこまで行っても時が流れればその場所から消えていくのが大半で。

でも、なぜ、その道を選んだの?
と聞かれた時に

   私がこの仕事がしたかったから。
   私が好きなことがこれだったから。
   私がしたいことがこれだったから。 

そう言うことができれば、この問いへの答えは十分だと思いました。例え、その夢が途中で破れても変わっても、あの時の私が信じた道なら良いのだと。

「自分自身が自分自身に納得出来るようになるために今進んでいるの。」

それが全てで、誰かが納得しなくても私が私に納得していることが私を強くするのだと思いました。


これは周りの言葉を聞かなくて良いと言うことではなくて、自分の軸が少しでも自分の納得いくものである、あるように努力するということだと思っています。


ドライブ途中で立ち寄った海


大人になろうとした夏

今年の夏は私の今の居場所と、原点と私自身の心のうちにある私と向き合った日々でした。何も考えずに楽しもうと思う日もあれば、もっと、成長したいと自分を鼓舞する日もありました。

私は幼稚園に通ってる頃から誰かに憧れて
何かを始めたり、志望校を決めたり、
そんな風にして自分に納得出来るようにという気持ちを無意識に持っていました。
でも、大学受験の時に出会った、今進もうとしている道は私にとって、私が初めて自分の足で進まなければと思ったもので、それまで私の理由付けに使われていた
「誰かに憧れたから」「友達と一緒だから」
と言った言葉では説明し切れないものでした。だからこそ大切で、それを言葉で説明しようとしても、「違うんじゃないか?」「他の言い方をした方が納得してくれる人が増えるんじゃないか?」と考えていました。
でも、どんなに近くにいる人でも納得して貰えるものでもなくて、全員を納得させるなんて無理で。
周りが納得するのは、この道に進んで私なりの結果が出たときだと気づいたから、今は私が私に納得出来るように進みたいと思います。

自分と向き合って、誰かに自分を伝えて、伝えようとして、でも、伝わらなくて、自分を振り返って、全てを素直に伝えることだけが正しいことではないのかもしれないという当たり前のことに気づいたとき、私は少しでも大人になれたのでしょうか?

こんなに自分の道を熱く語りながら自分の両足で立とうとしている私はまだ子どもかな。笑


後数日8月を満喫して20歳の夏を終えたいと思います(^^)


夏の記録はここまで。



それではまた。


百。












この記事が参加している募集

「百」をサポートしてくださると嬉しいです。私の正直な気持ちと日々の風景を1人でも多くの誰かに届けたいと思っています。