子どもを叱らない親、叱れない他人の行く先
今日の言葉
イソップ寓話より引用
子どもを叱らない親、叱れない他人の行く先
先日、電車内で大きな声で騒いでいる数人の子どもたちがいました。
夏休みで、友達同士のお出かけで子どもたちが楽しい気持ちになるのは理解できます。
しかし、その声があまりにも大きく、電車内では他の乗客の迷惑になっていたでしょう。
本来なら、親が「周りに迷惑だから静かにしなさい」と注意すべきですが、その親もおしゃべりに夢中で、子どもたちを注意しませんでした。
私を含め周りの大人も「迷惑だから静かに」と注意したいところですが、そういう親に限って「子どもに何を言うの!」と反発されかねないので、関わらずに黙って我慢していました。(私の行動にも問題があったと反省しています)
親が子どもを叱るべき状況でも、親自身に問題意識がないため、何も対応しません。
さらに、親以外の大人も子どもを注意することが難しくなっています。
親も他の大人も子どもを適切に叱れないため、子どもは自分が他人に迷惑をかけていることに気づかず、そのまま大人になってしまい、状況はさらに悪化していきます。
やがては、周りに迷惑かけていることにも気づけない大人になっていくことでしょう。
寓話に登場する蠍(さそり)は、針で威嚇しながら「世の中には危険なものがある」ことを子どもに教えています。
子どもの視点から見れば、バッタだと思って捕まえようとした矢先に、サソリに「やったらどうだ。捕まえたバッタも失うぞ」と脅かされたら、きっと恐ろしい経験になったでしょう。
しかし、この恐怖体験がサソリの危険性を学ぶきっかけとなります。これは子どもにとって貴重な教訓です。
「悪いことをしたら叱られる」という教訓を学ぶ機会がないことが、現代の子どもたちにとって大きな問題になっているのではないでしょうか。
イソップ寓話集の「子供と蠍」を読んで、そんなことを感じました。
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