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根が朽ちると木も朽ちる

今日の言葉

二宮翁夜話より引用

155〕櫛木の植替・分度の切替
翁のことばに、樹木を植える際に、根を切ったならば、必ず枝葉も切り捨てるがよい。根が少くて水を吸う力が少ければ枯れるものだ。大いに枝葉を切りすかして、根の力に応ずるようにせねばならぬ。そうしなければ枯れるのだ。人の身代にこれをたとえると、かせぎ手がけて家産が減ずるのは、植え替えた木が、根が少くて、水を吸いあげる力が減じたのだ。このときは仕法を立てて、大いに暮し方を縮めざるをえない。かせぎ手が少いときに大きな暮しをすれば、身代は日々に減少して、ついに滅亡してしまう。これは根が少くて枝葉の多い木がついに枯れるのと同じことで、どうにもしかたがないものだ。ところが、暑いさかりでも、木の枝をおおかた切り捨て、葉を残らずはさみとって、幹をこもで包んで植え、時々このこもに水をそそいでやれば、枯れないですむものだ。人の身代もこの道理であって、心しなければならない。

【引用 二宮翁夜話(上) 福住正兄:原著 佐々井典比古:訳注】

根が朽ちると木も朽ちる

人間社会も、根と葉に分けられると思います。

根に当たる部分は、社会を営む人間の精神性、葉の部分は社会そのものです。

これまで、日本社会は葉を生い茂らすように発展してきましたが、その一方で、社会を営む人間の精神性は低下しているように感じます。

電車内を見渡せば、スマホに見入っている人、シルバーシートに座る若者、些細なことで口論をしている人が目につきます。

その他にも、煽り運転や詐欺・騙しの横行など、日本人の根っこに当たる精神性が朽ちてきているように感じます。

それにもかかわらず、多くの人々は危機感を持たず、行動を改めることなく、ただひたすら幸せや豊かさを追い求め続けています。

それは、根が朽ちかけているのに、まだ葉を伸ばそうとするようなことです。

その結果、今後の日本社会はどうなるのでしょうか。

エネルギー価格が上昇する中で、従来通りの生活を続けることができるでしょうか。

二宮金次郎は「大いに枝葉を切りすかして、根の力に応ずるようにせねばならぬ。そうしなければ枯れるのだ」と語っています。

そろそろ、これまでの生活スタイルを見直すと同時に、日本人の精神性を再考しなければ、日本社会は枯渇してしまうのではないでしょうか。

枯れ果てる前に気づかなければ、最後には消滅してしまうかもしれません。

二宮金次郎の夜話155段「櫛木の植替・分度の切替」を読んで、そんなことを感じました。

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