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「良い子」のお笑い

『笑いは権力に抵抗するための有効な手段だと言われている。でも、テレビ経由で流れているお笑いネタの大半は、強い者が弱い者をナブるときに起こるアクシデントを笑うパターンで、むしろ権力の作用そのものだったりする。』
小田嶋隆「災間の唄」

あだ名をつけていた頃の有吉や、捨て身でANNをやっていた鬼越トマホークが好きだ。他人の悪口が可笑しくてしょうがない。笑

この2組が面白いのは、(当時)限りなく低かったであろう立場にも関わらず、先輩の芸人やMCや大御所のゲストに対して毒舌を言うから笑えるのであって、もしそのベクトルが逆を向くとそれは途端に冷めてしまう。立場が上→下に対する悪口は、単なるイジメになってしまう。

また、自分自身の容姿や体型などを自虐するネタに対しても引いてしまう。彼ら彼女らは、笑いに変えなきゃやってらんないんだよ!とでも言うのかもしれないが、そのネタが同様のコンプレックスを持つ視聴者をも傷つけていることには気付いていない。
 トランプ前大統領の言動が差別主義者に「差別をしてもよい」という後ろ盾となったように、このようなネタは、他人のコンプレックスをイジることにお墨付きを与えてしまう。

僕はなにか、よしもとの芸人に対する違和感を抱いている。
 鬼越がラジオで暴露していたが、芸人が稼いだギャラは、「会社:芸人=9:1」で配分されるとのこと。また、多くの芸人が出演するルミネなどの劇場でネタをしても、3千円しかもらえないらしい。だからみんな、複数の劇場をハシゴする。闇営業だってするだろう。(TBSラジオ/爆笑問題カーボーイ、鬼越ゲスト回にて)
 もしかしたら、僕が抱いていた違和感は、よしもとという会社に対するものかもしれない。

そんな中でも例外はあり、ウーマンラッシュアワーが年に一度、テレビのTheMANZAIでやるネタはとても楽しみにしている。

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毒舌が面白いのは、上下関係などから普通は言っちゃいけないことを言うからで、タブーを破るから笑いが生まれる。

であれば、スポンサーファーストのテレビの世界において、原発の話をしたり政権をバカにしたりすることは同じ構図となる。いちお笑い芸人が、権力を持つヤツらをネタにするから痛快で、このことは同時に、長いものに巻かれている「良い子」の芸人たちに対する大きな批判となる。
 
よしもとに対する気持ち悪さの原因もこれなんだと思う。権力に対して物を言えない人間の集合だから、魅力がない。

松本人志とか、カッコイイとは思えないんだよな〜。「良い子」すぎでしょ。

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