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《嘘の絆》最終話 裏切りと孤独【小説】


最終話-1 新たな人生の始まり

 篠原と恵子が新天地を求めたのは、山々に囲まれた小さな村であった。鳥のさえずりや木々が風に揺れる音が聞こえるのみの静寂な場所。ここならば、都会の厳しい目から逃れ、新しい人生を築くことができると二人は信じていた。

 村では本名を隠し、「武田」と名乗ることに決めた。

 村に到着すると、篠原と恵子は、なけなしの金をはたいて村の一角に小さな家を購入し、自宅兼の小さな店を構えることにした。店の名前は「山の花」。質素だが落ち着いた雰囲気の中、恵子が焼く焼き菓子と、篠原が淹れる自家焙煎のコーヒーを提供することにする。

「僕はコーヒーにはちょっとうるさいんだ」

 篠原が恵子に向かって言うと

「ふーん、初めて聞いたわ」

 と恵子が笑う。

 開店初日、村人たちは好奇心旺盛にそのドアを叩いた。

「村に新しく来た方がカフェを始めるって聞いて、楽しみにしてましたよ。」

と、笑顔の老婆が言った。

 篠原は微笑みながらコーヒーを淹れ、

「ありがとうございます。良いコーヒーを楽しんでください」

と応えた。恵子も、焼きたてのパウンドケーキをカウンターに並べ、

「こちらのケーキもおすすめですよ」

と声をかけた。

 日々、カフェは新しい顔や常連の顔で賑わった。村人たちは二人の穏やかな性格や、彼らが提供する美味しいコーヒーやケーキに魅了されていった。
 そして、彼らの背景や過去については誰も知らなかったし、気にすることもなかった。

 村での新しい日常は、篠原と恵子にとって、心の傷を癒すかのようであった。篠原は村の人々との交流を楽しみながら、コーヒーの焙煎に没頭。恵子も新しいレシピを考えることで、都会での過去の出来事を忘れることができていた。

 夕方、カフェが閉店の時間を迎えると、二人は店の前に備え付けたベンチに座り、遠くの山々を眺めながら、これからのことや夢について語り合った。

「都会でのこと、考えるとまだ信じられないな」

恵子がつぶやいた。

 篠原は深くうなずいて、

「でも、ここに来て、改めて生きていると感じるようになったよ。新しい人生がここから始まるんだ」

と答えた。

 篠原は恵子の手を握りしめ、彼女の顔をじっと見つめて言う。

「ありがとう。ここに来ることを提案してくれて」

 恵子は篠原の頬に手を当て、

「お互い様だよ」

と言った。

 夜になり、二人は店に戻り、自宅部分として使っているリビングへ向かい、ソファーに腰掛けた。
 都会の喧騒や非難の声が遠く、ここには静寂と温かさだけがあった。今日一日の営業が終わり、明日への活力を得るために、二人は眠りにつく。

 しかし、そんな平穏な日々は長くは続かなかった。新たな夜明けとともに、新たな試練が二人を待ち受けていることを、この時点の彼らはまだ知らなかったのだった。

最終話-2 過去の影

 時間が流れ、篠原と恵子が運営するカフェ「山の花」は、村の人々に愛される場所として根付いていった。だが、そんな平穏な日常も突如として崩れ去る出来事が舞い込む。

 ある晴れた午後、カフェの中でコーヒーを啜りながら、村の若者のタカシが彼らに尋ねた。

「ねえ、武田さん」

 カウンターの中にいた篠原は「はい」と、顔を上げる。

「あんたたち、昔、都会で何か大きな事件に関与していたって本当なんですか?」

 スマートフォンの画面を示しながら、彼は篠原と恵子の写真を指差した。

 篠原の息が詰まった。そこには、かつてのスキャンダルと一緒に、この村に住む篠原と恵子の情報が詳細に綴られていた。恵子は顔を伏せ、

「なぜこんな小さな村の我々の情報まで…?」

と微かに震える声で呟いた。

「それだけじゃない」

 別の村人が口を挟んだ。

「あんたたち、本名を隠してここに来たんだろう?本当は『篠原武大』って名前なんだってな。 それって、まだ他にも言えないやましいことがあったんじゃないのか?」

 篠原は深呼吸し、硬い表情で村人たちに語りかけた。

「確かに、僕たちは都会で過ちを犯しました。そして、新しい人生をこの村で始めるため、偽名を使いました。でも、僕たちの心の中には、過去のことを懺悔し、この村で誠実に生きるという強い意志がありました」

 村の集会場には、篠原と恵子の過去に関する記事や写真が張り出されており、村人たちは困惑や非難の声を上げていた。カフェの前には、彼らの真実を問いただす大勢の村人が集まり、篠原と恵子はその真っ直ぐな視線に耐えながら、過去の過ちとその後の生活について語り続けた。

「本名を隠してきたこと、その他の過去の過ち、全てを謝ります」

恵子は涙を流しながら、手を合わせて頭を垂れた。

「でも、私たちはここで新しい生活を築きたかった。過去のことをバネにして、もう二度と過ちを犯さないと心に誓って…」

 村人たちの中には、篠原と恵子の言葉に共感する者もいた。だが、彼らの過去を知った今、村の空気は明らかに冷え込んでいた。彼らの日常は、一変してしまっていた。

 こうして篠原と恵子は、再び非難の的となった。密かに再出発を夢見て始めた新しい生活も、ネットの力により、その平穏を奪われることとなった。

最終話-3 どこへ逃げても

 篠原と恵子の前に広がる見知らぬ道。彼らは、小さな村での生活を終え、新たな生活を求めて再び路上に立っていた。しかし、過去の罪は彼らの背後に確実に付いてきていた。

 ネット社会の影響は、彼らの予想以上に広がっていた。
 新たな土地で彼らが試みた新しいスタートも、すぐにその過去が影を落としてしまう。篠原の名前を検索すると、すぐに彼の過去のスキャンダルや虚偽記事の情報がヒットする。同様に恵子の名前も、彼女が篠原に罪を全て押し付けようとしたことが広まっていた。

「ネットの情報は、本当に消すことはできないんだな…」

 篠原はその現実を痛感した。

 新しい場所に行くたび、最初は平穏に過ごせる日々があったものの、遅かれ早かれ、彼らの過去が知れ渡り、再び非難の声にさらされることになるのだ。そして、何度も繰り返されるその現実に、篠原と恵子の間に再び亀裂が生まれ始めた。

「お前のせいで、また逃げないといけないんだ!」

 篠原は恵子に声を荒らげた。

「私のせい?あなたが最初にやらかしたことを忘れてるの?」

 恵子も負けじと反論する。二人の間には、過去の過ちや裏切りを責め合う日々が続いた。

 ある日、篠原は一人、都会の高層ビルの屋上に立っていた。遠くの景色を眺めながら、彼は深く溜息をついた。

「どこへ行っても、この重圧から逃れることはできないのか…」

 そんな彼の背後に、いつの間にか恵子が立っていた。

「また、新しい場所を探そうとしてるの?」

 彼女の声は冷たく、同時に疲れているようにも聞こえた。

「恵子…」

 篠原は言葉を失う。

 恵子は篠原の隣に立ち、遠くの夜景を眺めながら言った。

「どこへ行っても、私たちの過去は消えない。このネット社会の中で、私たちの過ちと償いは永遠に続くのかもしれない…」

 篠原は頷くこともなく、ただ黙って聞いていた。

 しばらくの沈黙の後、篠原が口を開く。

「でも…、それでも生きていくしかないんだ」

「あなたとは、もう一緒にはいられない」

 恵子は冷静に告げた。

 最後に、篠原と恵子はそれぞれの道を選び、都会の夜景に吸い込まれるように姿を消した。

最終話-4 終わりなき終わり

 都会の街角で、篠原と恵子は再び顔を合わせていた。彼らの邂逅は、数多くの通行人が行き交う中で、ほんの一瞬の出来事に過ぎなかった。

「恵子、また会えて嬉しい」

 篠原は言った。

 恵子は篠原をじっと見つめ、

「私たちは、一体何を求めているんだろう…」

とつぶやいた。

 彼らはそれぞれの道で数多くの経験を重ね、その度に現代社会の冷たさや、人間関係の難しさを痛感していた。しかし、その経験も彼らに真の反省をもたらすことはなく、むしろ新たな場所で新しい人生を刻むことに執着していた。

 篠原は深くため息をつきながら言った。

「僕たち、もしかしてこのまま終わりなき旅を続けるのかもしれないね」

 恵子は篠原の言葉に頷いた。

「それでも、私たちは何かを求め続ける。もしかしたらそれが、人間の宿命なのかもしれない」

 二人はしばらくの間、街の喧騒を背景に静かに立っていた。彼らの胸には、欲望や自己中心の感情が渦巻き、それと同時にこの冷たい現代社会での彼らの立ち位置を痛感していた。

 篠原は、恵子の手を取り、

「でも、これからも時々は会えるかな?どんな場所に行っても、僕たちは似た者同士だ。きっとお互いを支え合えるはずだから」

 恵子は、篠原の言葉に微笑んで頷いた。

「そうね、私たちの物語は、終わることはない」

 そして、二人は再びこの都会の喧騒の中、新たな道を探し求めて歩き始めた。
 彼らの心の中には、欲望や自己中心性が渦巻き、そんな彼らを取り巻く現代社会の冷たさがいつまでも広がっているのを二人は敏感に感じ取っていた。

(了)

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