第52話アジアンハイウェイ

「これは、あなたの自転車ですか?」
プサン発福岡行きのフェリーターミナルで、ユンさんという男の人に話かけられた。森本レオにそっくりな、優しそうなたれ目の男だった。こんな風に声をかけられるのはいったいいつ振りだろう。

韓国まで来ると、もうほとんど日本と変わり映えしない街並や景色は、あらゆるものが落ち着くところに落ち着いて、喧騒はどこにも見当たらない。人も他人に関心を寄せるということもほとんどなくなった。もはやエンドロールとも言えない最終ステージを淡々と走り抜けてきただけに、最後の最後で誰かに話しかけられるのは思ってもみなかった。

「私たちも同じ船で日本に行くんです」
ユンさんは流ちょうな日本語を話した。
聞くところによると、アマチュア無線の仲間が福岡にいて、毎年奥さんと一緒に日本に遊びに行っているのだという。道理で日本語がうまいわけだ。

「どこから走ってきたんですか?」と尋ねられ、どう答えていいのか迷った。言いたいことを不自由なく伝えられる日本語だったから、というのもあるだろう。世界一周の旅に王手を迎えているにも関わらず、「世界一周」という言葉に妙な抵抗を覚えて口にすることがはばかられた。

「ソウルから走ってきました。あ、その前は中国にいたんですけどね、あはは…」
話の輪郭をごまかすように答えた。
ところが、「他はどこに行きましたか?」「中央アジアです」「他は?」「ヨーロッパです」と質問攻めにあい、とうとう僕は「世界一周をしてきたんです」と白状した。
ユンさんは分かりやすいぐらいに絶句し、しばし呆然としていたが、すぐに僕の手を取って「すごいですね」とまるで自分のことのように喜んでくれた。
そして僕の旅のあらましを、同じように待合室にいる乗客に向けて韓国語に翻訳してくれると、あっという間に韓国人に囲まれ、あれやこれやと再び質問攻めにあった。

フェリーに乗って、あとはただもう日本を目指すだけ、そんな冷めた気持ちでいた僕にとって、その盛り上がりは何だか旅の日常が帰ってきたみたいで、懐かしいような嬉しいような気持ちになった。

乗船の時間を迎え、搭乗口へと向かう。
途中にあった出国検査では何の滞りもなくパスポートにスタンプが押された。水が滲み、ページの縁がヨレヨレになったパスポートも後は明日の朝、帰国の印を押されるだけである。
 
船のラウンジや飲食スペースのあちこちでは、さっそく乗客たちが思い思いに宴会を始めていた。どのグループも骨付きチキンにかぶりついていて、船でチキンを食べるのが韓国の定番のようだ。船中チキンのにおいが充満している。

乗船前に夕食を済ませていた僕だったが、ユンさんが自分たちのグループの席に誘ってくれた。ざっくばらんにテーブルに広げられたチキンと、船内で売られていたアサヒのビールをご馳走してもらった。
「日本のビールは世界一おいしいね」
そう言うユンさんに勧められて一缶、二缶と飲むとあっという間に酔っ払った。ユンさんも既にだいぶ酔っ払っているようでさっきから「伊藤さんに出会えてよかった」を連発している。
酩酊した頭は、なんだか明日もまたどこか異国の国で見知らぬ誰かと酒を飲み交わしているんじゃないかとさえ思わせた。もう終わったと思っていた旅の情緒がここにきて戻ってきたのだ。こんな風に僕はひょんなきっかけで世界のあちこちで色々な人に出会ってきた。

宴が終焉し、部屋に戻ろうと船の中央階段を通りがかると、額縁に飾られた大きな地図が目についた。
「アジアンハイウェイ」と題字がつけられたアジア大陸の地図。イスタンブール、バクー、ウルムチ、バンコク、シンガポール、ウランバートル…。
文字で記された都市の名前から、各地で過ごした情景が鮮やかによみがえった。

そして都市と都市を結ぶ機械的に引かれた赤い線。
それらがどんな道だったのか僕は知っていた。

ひび割れたアスファルトが灼熱の太陽で揺らめく砂漠の道、ハイウェイとは名ばかりの誰かの轍が延びるだけの草原の道、連なるヤシの木の下、誰かがハンモックに揺られ昼寝を貪る南国の道…。
地図には描かれていないヨーロッパやアフリカ、アメリカ大陸の道すらも脳裏に浮かんできた。
旅に出る前、俯瞰的に見ていた薄っぺらで真っ平らなはずの地図が、とうとう立体的になったのだ。
誰かが気を留めるわけでもなく通り去るこの地図が僕にはなんだか宝の地図のように見えた。
そこを確かに僕は走ってきた!

不意に胸の奥から感情が込み上げて一気に溢れそうになった。たくさんの人が行き交う階段に居た堪れなくなって、甲板に急いだ。
冬の甲板に出ている者はおらず、そこは今の僕にとっておあつらえ向きの場所だった。人目を気にすることなく涙を流し、声をあげて泣いた。
涙は大陸から吹きつける夜風がさらってくれ、むせび声は低く唸りをあげる船のエンジン音がかき消してくれた。

目の前には真っ暗な海が広がっていた。初めての自転車旅で立ったサンタモニカビーチの時と同様の茫洋さである。
けれど、その海原には不思議な一本の道筋が延びているように見えた。この先に日本がある。いよいよ道が一本に繋がろうとしているのだ。

どれだけの出会いを重ねてきたのだろう。
どれだけの優しさに触れてきたのだろう。

船は重低音を轟かせて、闇の中を進む。腹に響くその手ごたえを感じながら僕は、自分が刻んできた旅の轍に思いを巡らせていた。

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