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歌は心を潤してくれるかもしれないという話

誰もが通るであろう学生時代。
将来の人格形成にも深く関わるであろう幼少期。
本日は私のちょっと変わった小学校時代のお話。


皆さん小学校の時の思い出はなんですか?
そうですよね「歌声委員会」ですよね。

え?ご存じでは?というか、学校に無かったんですか?「歌声委員会」


今思えば、そんなのあるはずが無いと堂々と言えるほどの名称である。
これがローカルルール・郷に入っては郷に従えというものだろうか。

見えないものを見ようとし過ぎて、気付かなかったのかもしれない。


私は特筆するほどのスポーツの才も無く、勉学にも優れておらず(と言っても小学校時代はほぼ常に100点でしたが)

唯一得意としていたこと。 それは「歌」

登下校時でも自宅でも、お出かけの車中でも歌っていた私である。

ただ歌の内容は、アニメのテーマソングなどではなく
音楽の教科書に載っているような童謡・民謡ばかりを歌っていたため、
今考えてみれば、ミサイルよく発射している北某国の子供のようなポジションを確立していたのではないかと思う。
私の愛してやまない曲、それは滝廉太郎の「花」である。


そんな中、私の中で革命が起きたのだ。

それは、「もののけ姫」の放映。
なんだあの美しい高音とメロディ。

新時代はこの未来だったのかもしれないと、壊れたレコーダーかのように繰り返し歌い続けマスターしていった。
このストイックさ、今の自分に欲しいくらいであるが、どこかに置いてきたらしい。

そんななか、小学校高学年では委員会に所属する必要があり、
一番需要の無さそうな「歌声委員会」という謎委員へ立候補するのであった。


歌声委員会の主な任務は以下の通り

  • 一つ、歌で全校生徒を明るくする。

  • 一つ、歌で文化を伝える。

  • 一つ、歌で心を一つに。

当然、この崇高な理念など理解できるはずもなく、ただ歌いたい者達と、仕方なく後ろで「私語」と言う名のバックコーラスを担当してくれる者たちで構成された。

主な活動としては今月の歌と称し、毎月曲を決定し、歌の収録を行う。
そしてその収録音源は毎週 月・木の給食時間中に、晒さ、、、再生されることになっている。

承認欲求という言葉を知らない幼子は、当時ものすごい量の脳汁が出ていたに違いない。
もし私がマクロスデルタでのワルキューレだったならば、フォールドレセプターがアクティブしてしまっていただろう。

きっと学級崩壊が起きていないのも、歌によって鎮圧できていたからだと思われる。


そんな私は、歌声委員会の中で次第に存在感を増し、体重も増し、
5年生でありながらも、何故か委員長(兼ディーヴァ)となっており、
給食時間は私の歌声で校内をジャックしていた。

また、歌声を届けるための大切なインフラ的存在、「放送委員会」を(半ば強制的に)取り込むよう教職員に掛け合う等、大人顔負けの巧みな交渉術で、放送室を手に入れることにも成功している。

当時は行動力の化身であったに違いない。


そんな人格形成真っ只中で味わった、この貴重な体験は、
今でも心を潤してくれ、ビスコのような強い子を作ってくれた一方、
のちに、脳汁が放出されない普通教科への熱意が入らない「文化的廃人」を作ってしまったのであった。



#創作大賞2023 #エッセイ部門

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