受援力を高めること①

これから何回かに分けて、これからきっと受援力を高める必要があるよねってことについて書いていきます。

受援力というのはボランティア活動に関わったときに教えてもらった言葉でして、「誰かから助けてもらえる力のこと」だと知りました。そして受援力の高い人と低い人、高い組織と低い組織、そして高い地域と低い地域もあるということも学びました。


これから「助けて」って言える力がある人は、本当に生きることが楽になると思っています。言うのは恥ずかしいことかもしれないし、自分が情けないと思うかもしれないけれど、ちゃんと言ったほうがいい。

なぜなら、「あなたを助けたいと思っている人がいても、あなたが助けてって言ってくれないと、あなたを助けられないから」である。

さて、そんな話を書いていきます。



助けてって言わないと本当にわからない

そもそも「助けて欲しかったのに助けてくれなかった」というとき、本当に助けてって言って声をかけたのかどうか。残念ながらこれが結構大事です。

なぜなら、それほど注意深く誰も、誰かのことを見ていられないし、みんなそれぞれの人生を一生懸命に生きている。ただそれだけなので、それを見ていられなかった、助けてくれなかったということを責められるととても辛く苦しい気持ちになります。

普段から見ていれば助けてくれるはずだという話を言う人もいますが、それは本当に、基本的には無理です。自分の人生をそれぞれに生きている中で、相手が求めてもいないことを押し付けがましく助けてやろうなんてことは言えないし、ご機嫌そうに見えていても、実は優しいひとことすらも声がかけられない状態にある場合だってあります。


言えない立場になっていた人は、それが言えたら楽だということ言います。ですがその言葉に対しても、そうだね、言えたら楽だね、だから言ってね。としか言いようがありません。

誰も他の人が声を上げないときに、助けての声を表情から読み取ったり、雰囲気から読み取ったり、言葉から読み取ったりとか、そんな簡単にできたりしません。それは、奇跡を当たり前として期待するようなものです。

「ちょうだい」と言えば手に入る可能性があるものを、「欲しい?」って聞いてくれるまで待っていて、「なんで、欲しい?って聞いてくれないんだ」って怒るようなものです。それは、言ってください、としか言えない。


でも助けてって言いづらい世の中だ

でも、実は助けてってめっちゃ言いづらい世の中だ。それは実はこんな生き方をしていて、ど厚かましいくせに、よく知っている。言いづらいし、それを言うとなんかすごい「自分ばっかり助けられると思うな!」みたいな反応をする人がいたりすることも知っている。

自分はきちんとしているんだ。だから僕だって頑張って、きちんとやっているんだから、みんなだってそうしないと行けないと思うんだよね。だって、それをきちんとやってない人がいるんだったら、僕が馬鹿みたいじゃないかよ。そんなの卑怯だし、ずるいよ。そんなの許せない。

そんな風に思っている人たちが、助けてと言う人たちに攻撃をする世の中。そしてそういう人たちも、実際に自分が助けてほしいときに助けてもらえなかったり、助けてほしいとか言えるような環境じゃなかったりして、この世の中の世知辛さに嫌な思いをさせられてきた可能性は高い。だから厳しい。


優しい人はいるけど、出会えていないかもしれない

僕はありがたいことに、ずっといろんないい人たちに出会えて、また厳しい人たちにがっかりされて叱責もいただき、いろんな人たちがいることを知った上で生きている。それでも、本当にめちゃ良い出会いに恵まれている。

そして、ちょっとずつ厳しい人やきちんとした人たちから十分にがっかりされて、自分の前から立ち去られてきた。そしてその人たちと会うことがなくなって、残っているのは、「助けて」とすぐ情けないことをいう自分すらも見放すことがない、優しい人たちばかりになった。

なぜなら、もうすでに「厳しい人たちはすでに僕を見放している」からだ。そういう人たちにとっては、こんなポンコツ野郎の泣き言は鬱陶しくてたまらないし、まさかそんなやつを助ける甘っちょろい世の中なんてのは許せるはずがない。人に助けられて生きてて良いはずがないのに、あんなやつマジで失せてしまえば良いのに!!失せないなら見放してやる、そしてすっかり孤独になってしまえばいい!!とまで思って去っていった人もいるだろう。

それでも、自分でなんとかすることもあるけど、だいたい「たすけて」って言うから助けてもらってきた。もちろんその恩返しもできるだけしていこうと思って生きてきた。あまりにもたくさん助けられているので、絶対恩返しの量は追いつかないことが確定しているのだが、返すことはやめない。

僕は、誰かに助けてほしいと言われたら、やっぱりできるだけ助けたいと思って努力をしていこうと思って生きている。なぜなら、助けてもらっているから生きていられるわけで、優しい人たちに助けてもらった恩を返すとしたら、そんなタイミングしかないと思っているからだ。絶好の恩返しのタイミングだとすら思っている。

そんな風に誰かに助けてもらって生きてきた人は必ずいて、その人たちは、きっと僕と同じように「ああ、助けてえなあ。いっつも助けられてる。いや本当に助けてえなあ。」と思っている。一般的には優しい人だろうと思う。

もしそんな人知らないと言うのなら、きっとまだ出会えてないのだと思う。僕はたまに忙しくてレスが遅かったりもするけど、でもできるだけ助けたいなと思って生きているので、できるだけのことをしてる。遅いかもだけど。


とりあえず、ひとつめは「助けて、と言ってくれなくちゃ助けられない」ということに尽きる。だけど、助けて、って言いづらい世の中だってことは、もちろんわかっている。

だけど、じゃあどうしたらいい?

どうしたら言葉になってない「助けて」にたどりついたらいいんだろうか。なんとかそこに辿り着きたいなといつも思ってます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。