ぶちキレまして

もう、7年ぶりくらいでしょうか。怒って大声を出したのは。信じてもらえない人になるのは本当に生きづらさにつながると思っているからこそ、ついつい嘘をつくことに対しては僕も過敏なのかもしれません。

もちろん、あえて言わない、という選択をすることまで嘘だと言うなら、僕は言葉を選んで生きているわけですから、嘘をついて生きているだろうなと思います。

しかし余計な波風を立てる必要もないのに、余計な一言で相手を傷つけるくらいならば、言わないでおくということはあります。それは選択をしているのであって、嘘をついたとは僕は思っていません。


ですが次男。
最近、ほんと目にあまる嘘つきです。


数学でがっつりつまづいておりますので、夏の特訓をしております。中1の数学でつまづいているわけですから、原因は小学校の算数にあるに違いありません。さてどこだろうと確かめていたら、とにかく面倒くさがって式を書くことを省いたり、見直しをしなかったり、なによりも問題文をちゃんと読んでいない。

そこでとにかく問題をたくさん解いて慣れるまでやるしかないと判断し、ひたすら問題を解くように特訓をしておりますが、ダラダラ取り組んでいてなかなか終わらないので、どんどん解くべき問題数が積み上がっていきます。


解き方がわからないなら後で聞けばいいから、他の問題をやりなさいといって、今日は午前中に用事を済ませてきていた3時間の間に、明らかに答えを見た形跡が見つかり、「答えを見たんやな?」ときくと「見てない」と次男が答えました。

「うん、わかった。でも、今なら怒らない。だから答えを見たのなら正直に言えばいい。嘘をついていたら本当に怒るぞ。」というと、「本当に本当に、絶対見てない」とさらに力強く次男は言いました。

しかし、僕は答えを見るんじゃないかなあと思って、他の場所に置いてある答えに少し仕掛けをしたので、動かしたりすれば、それが元の場所にないだけで誰かが見たことは明らかだったのです。さらに、ここ数日見張っているおかげで、式をきちんと書かずに解いている問題は、見れば大体わかるようになってきました。

確信を持って、彼が嘘をついているのに、それをシラを切ろうと思っていることがわかって、しかも、この5日間連続で嘘をつき続けていて、「もう嘘は言わない」と言い続けていることに、堪忍袋の尾が切れました。


大きな声を出し、叱りつけ、ものすごい剣幕で怒りをぶつけてしまいました。これは本当に反省で、後で謝りましたが、しかし、これは抑えるべきではない怒りだと思っています。なぜなら、不誠実な対応が許されると思ってほしくないと感じているからです。大きな声をあげることは滅多にありませんが、まさか、そこまで怒ることだとは、と思わせる理由がそこにあることを伝えたかったからです。


その話を伝え、次男に「悪かったよ」と謝罪しつつ、しかし「嘘をつき続けることと、それにこんなに怒りを示さなければ伝えられないということが悲しい」と伝えながら、残念で仕方なくて、涙が出てきました。父親として、次男の前で涙を見せるのも初めてだったと思います。


結果としては、現在のところ真面目に取り組み始めています。いつまで続くのかはわかりませんが、とにかく伝えなければならないことだなと思いましたし、妥協はできないことだと覚悟を決めたところです。

つくづく勉強になりますねー。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。