息をしていればいいのだ

何かをしなくちゃいけないような焦燥感が、ずっと世の中を覆っているような気がするんだけど、これは気のせいかな。

何かをしなくちゃいけない、生きていけない、立派にならなきゃいい大人になれない、だから頑張らなくちゃ、何かを。何を?勉強を?本当に勉強をやればいいの?

そんなわけで、人生のロードマップが見渡せないで、学校区からも基本的に無断で出ちゃいけないという小学生・中学生なんかは、とりあえず勉強しろって言われたし、嫌だけど、怒られたくもないから勉強しときゃいいか。まあ褒められたら悪い気はしないしな、なんつって、日々が過ぎていったのかもしれない。


で、結局なんだったんだろう。


僕らは、なぜ勉強をして、なぜ立派になって、なぜ価値を生み出さなきゃいけないと問われ続けていたのだろうか。そして癖になったこの焦燥感が、カチカチッて火をつけて、自分の身を焦がすようなことをなんで、ずっとやってるんだろうか。


今日はオカンと話していたら、ベーシックインカムの話が通じて驚いた。

「ああ、新しい首相が言うてるやつやな」

なんと、70歳のオカンがベーシックインカムについて理解をしている。人間がそこまで一生懸命に働かなくても、ある程度は機械が社会システムをこなしてくれる世の中で、ベーシックインカムが導入されたってやっていけそうだっていう概要まである程度は理解していて、オカンの年齢層にまで届いたのかと驚いたのでした。

そうなってくると、俄然これは現実的な感じがしてきます。政治なんてものは、次の選挙で選んでもらえるような空気の読んだ政策が大事であり、この空気が徐々にベーシックインカムを後押ししていると思われる。おそらく自動運転も後押ししていくのだろう。どんどん働かなくてもいい、自分で運転しなくてもいい、そういう社会になりつつあるな、そりゃ僕にとっては相当いい感じの社会だ。


なんとなく暮らしていって、このまま何もしなくても2年くらいは死なないくらいの貯蓄がある。そのまま僕がまったり暮らしていったら、どうなるんだろうって、日々思いながら過ごしていて、一番大事にしているのは「息」だなと思う。

息を大事にするために、合気道と茶道を学び始め、毎日お昼には瞑想をして呼吸を整えていて、サウナに入って休憩をして呼吸を行うことをサボらない。すごく真剣に、仕事そっちのけで、息をしている。

でも、やっぱり、息のやり方が間違っていると苦しいし、正しいと心地良いってことだけは間違いない。だから息をしていりゃいいんだ、と思う。ちょっとずつ働かないでも食えるようになったら、あとはニコニコして、息してりゃいいんだから。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。