日々が普通に過ぎていく

昨日は真言宗のお坊さんである加藤さんがわざわざ京都からきてくれて、仏教についてのYouTube収録をしてみました。


音がすこし聞き取りづらいのと、やっぱりすこし長すぎるのと、文字が見えづらいのとで、全体的にまだまだ拙いのでそのうち消すかもしれませんが、仏教YouTubeの処女作です。よかったらご覧ください。


基礎知識がなくてもわかる「仏教のこと」(50分くらい)


基礎知識がなくてもわかる「大乗仏教ってなんやろ」(40分くらい)


ふたつめの動画なんてほぼ文字見えへん、これは撮り直しやな(笑)

さて、こんな感じでスモールステップではやりたいことに向かって進んでいるような気がします。いや、いやいやよく考えたら、お坊さんとYouTubeの収録をしているとかすごい前進しとるやん、これってすごいやん。


でもなんか今日は生きていました。
とりあえず4月は生きるだけです。


周りの活動的な人たち、知識ある人たち、情熱的な人たちが、この危機に対して動きを見せていることをSNSで見ることで比較する気持ちが生まれてきてしまうなあと知覚しています。そうなんとなくですが、自分もなにかしていないのは、とてもよくないことじゃないかと否定してしまうような気持ちがムクムクと生まれそうになることを確かめているわけです。


だれもそんなことを言っていないし、思ってもいないはずです。でも自分は何かしなきゃいけないんじゃないか、ゆったりメシを作っている場合じゃないんじゃないか。あと、本当に自分が待たせてて、やらなきゃいけないことも実際やれてないし、やれてないから怒らせたりすることもあるし、何だかどうしようもないなという気持ちにもなりそうな自分を観察しています。


無我の境地などとんでもない、遥か遠く、遥か彼方です。


それでも卑下することもなく、呼吸をして、スーっと生きていたいなと思います。ゴハンが美味しいこと、昼寝が気持ちがいいことと、世の中が色々と騒がしいことは、関係がありそうに見えるけど、やっぱり関係ないのです。


いまここにないもの、いま僕が関与していないものに、心を揺さぶられて、いま目の前にあるなにかを大事にしないのはやっぱり違います。

自分の目の前にお鉢が回ってきたとき、「とうとうきましたか。はい、大丈夫です。めっちゃ美味しくご飯も食べたし、いっぱい寝てました。思い残すこともないくらい充実して過ごしたので、あとはなんか頑張りたいです。」と言えるとすれば、それはいま目の前にあることを大事にし続けたことで、いまを生きること大事にしてきたからこそ、やってきた事象にまた全力で取り組もうという気持ちにもなれそうです。


ありがたいことに、いろいろとできてないことが相変わらずありますが、それでも日々が普通に過ぎていきます。いまは政治家でもない単なる自分ですので、自分の領分で生きて、自分のできることを、いまできるだけやることに満たされたいと思います。いまはとてもそうしたいと思うので。


普通に過ごせた本日の時間もありがたく、ただ嬉しいものです。
申し訳ないと思わず、素直に感謝し、自分を満たし、力を蓄えておきます。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。