今日生まれてやるべきことをやって今日も死ぬ
毎日生きて、毎日死ぬ。連続しているように見えるけど、本当に連続しているのかなんてわからない。寝て起きて、同じ自分なのかなんて、本当にわからない。
朝起きて目覚めたら、そいつはもう、その日のそいつだ。今日寝たら、今日のそいつは死ぬのかもしれない。そうなれば明日のそいつは、明日生まれるってことだ。
毎日同じように生きて、毎日同じように死んでいくのもいい。本人が嬉しそうに生まれて、嬉しそうに死んでいくのなら、そんな幸せなことはないからね。
僕は、今日やっておきたかったことをやらずして死にたくないので、後悔することになったとしても、今日やるべきだと思ったことをやって死にたいと思う。
そうしたら、明日に、今日のモヤモヤを引き継いだやつは生まれないから。明日は明日のことを大切にして、感じたことを喜び、そして気持ちよく生きて死んでく。
毎日そんなふうだ。それを毎日のように積み上げて過ごす日々の延長に、何かが生まれる時もあれば、何かが終わる時もあって、出会いも、別れも、その日にある。
今日も心地よく生きたと言える。それがとてもいいことだと知っている。眠りにつくときには、そんな気持ちで終わりの時間を迎えていればいい。毎日そうしたい。
あるとき、急に肉体から離れるときもやってくるだろう。でも、そんなのは日常の延長でしかない。毎日生まれて、毎日死んでいるのだ。肉体があろうが、無かろうが、それはそれくらいの違いでしかないと思えるようにいられるだろう。
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