おまけの人生

「ありがとう。おまけの人生楽しくすきなことしておくります。」

今日LINEのやり取りの最後にオカンから届いた文章です。
本日5月20日は僕の誕生日でして、今回で42歳を迎えることになりました。

父、母それぞれからLINEが届きまして、お誕生日おめでとうとお祝いの言葉と、普段からzoomのやり取りをしていることもあって、気遣ってくれてありがとうという言葉もありました。気遣うというと、なんだか色々とお世話をするような気持ちだけれども、それがないわけじゃないけれど、僕にとって悔いのない人生を送るために両親と話をする時間をしっかりと持ち続けるということを決めてから、もう3年ほぼ毎週zoomで話すようになりました。

そう。ここからスタートして3年を過ぎて、4年目に入りました。いろんな話を聞かせてもらったり、どうでもいい話をしたり、そんな話からインターネット回線でぼったくられている話が出てきたりと。いろいろと話してみないと分からない話はあるものです。


さて、そんな話も経て「おまけの人生」と言葉にするオカンも、そしてオトンも73歳になりました。平均寿命から足し引きすることに意味はなく、その人の寿命が来れば死ぬし、来なければ生きているというだけ。でも、自分の年齢でも十分に急死するケースもあるもんですから、73歳を迎えた二人の年齢の同級生の人なんかもう、突然に心臓が停止して人生終了を迎えます。

おまけの人生っていうと、じゃあそれ以外のことをメインの人生というのか、なんというか。いずれにせよ、おまけじゃない「主題となる人生」とでもいうべき何かということがあったはずで、それを終えたからこそ、おまけだということになったんだと思うのです。さて、では主題となりえるものはなんだったのだろうかと思うと、青春時代を過ごして若者らしくキャッキャして、恋もして、働いて、結婚して、子供が生まれて、子供が育つまでに一生懸命に働いて、家族の生活を守って、子供が一人前になるまでのところがもしかすると「主題となる人生」だったのかもしれません。単身赴任してた長兄の子供、つまり孫育ても担当していたので、そっちも第二部子育てとして苦労しつつも、やりがいがあったかもしれません。

そんな「自分の子を育てる」と「長男の子を育てる」の二部構成を経て、彼らをまともな大人にするための生活を守る、ということが主題だったのではないかと考えると、命をつなぐバトンパスを、両親は無事に終えられたので「おまけの人生」だと言えるのかもしれないなと思いましたが、真相は果たしてどうかは母親に聞いてみないと分かりません。


さて一方で、僕もまた「すでに僕の残りの人生はボーナス期間」だと思って生きているフシがあります。青春もあり、恋をしたり、働いたり、結婚したり、子育てしたり、離婚したりして。シェアハウスで過ごし、行政職もし、民間でも働き、NPOの支援もし、趣味に勤しみ、仏教も嗜み、茶道と合気道と呼吸法が楽しいだのと耽り。どこからか、もはや「なすべきこと」というものに対する責任感というものを振り落として生きているように感じます。

離婚後にも、車で10分ほどで着く、離れた家族との程良い距離の暮らしだとしても、ふたりの息子には十分ではないにせよ金銭面と愛情を届けられるように関わりを続けることも出来ていて、あと4年ほどで彼らも成人していくことになります。そうなれば、おそらく一般的な意味での責任を果たすことになるのかもしれないという考えもチラっと頭をよぎりますが、そんなことはさておき、すでに彼らが生まれ、そこそこの年齢にまで育った時点で、命のバトンはほぼつながったのではないかと思います。

僕にとっては、なんとなく、まともな息子であろうとした時期があって、その際に自分には「結婚」「子育て」「マイホーム」「大学進学」あたりの、自分が親にさせてもらった程度のことは再現しないと人間として失格なのではないかと思いこんでいたところがあります。

とくに結婚をしないとなんかマズいんじゃないかという、誰にも言われてないのに受ける重圧をやんわりと感じつつ、なんか24歳でうっかり結婚しちゃって、25歳ですでに長男が生まれちゃっていたので、なんか若いうちにノルマが終わったような気にすらなっていたように思います。今でも、なんかノルマみたいな感覚があったことを確かに感じています。


でも、そういうのも終わったし、そういうのが幻想だったということも確かにわかったし、その幻想だったこともまた離婚という現象によって、理想も幻想もなにもかも果たせなくなったことで吹っ飛んで、どうでもいいわ!ってなって、自分の人生をさらに勝手に生きるようになってから、吹っ切れてそうして、ぼくはもうずっと「おまけの人生」を生きている気がします。

決して自暴自棄なのではなく、非常に充たされていて、満足していて、でもアニメもおもろいし、ゲームもおもろいし、仕事も割と好きだし、人と話すのも好きだし、新しい人と出会うのもイヤじゃないし、昔からの友達と話すのだって全然楽しめる。哲学、仏教、茶道、合気道、呼吸なんていう文化的な営みもちゃっかり楽しめるようになってしまって、理屈っぽいことも楽しくやれちゃうし、感覚的で言語化しづらい体験も喜んで味わえています。

若いときにはヒッチハイクで日本を回ったり、アポなしでネイティブアメリカンの家に泊めてもらったりして、いまだと危なっかしい青年だったなあと思うけれど、それもまた貴重な体験で、あの時にしかやれなかったことはちゃんとやれたし、今しかやらないだろうなーってことを今やっている。

そうしてきっと、もう少し時間が経たないとやらないことは今はやらなくて、年齢を重ねてからどうしてもやりたくなっちゃったことを、うっかり長生きしたならばきっと迷わずやれるそんなジジイにもなれる気がします。

なんか、年齢を重ねて、思い込みのノルマを終えて、少しずつローンの返済も進んで、責任感とともに生きなくちゃいけないという雁字搦めの思考を抜け出して、どんどん軽やかになっていってると思わずにはいられない。

「おまけの人生」ってなんだろう。ぼくにとって「主題となる人生」ってなんだったのだろう。いわゆるノルマっぽいのが主題だったと思い込んでいたから、いまぼくはオマケの人生のような、ボーナスタイムのような気がしているんだけれども、やっぱりこっちが主題なのかもしれない。改めて主題となる人生を歩いているんだということを、茶化したり、変に笑い飛ばしたりせずに、しっかりと向き合い、でも重たくならずに軽やかに、認められる気がしてきた。いいかもしれない。

そんな感じで42歳の一年が始まりました。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。