お彼岸となっております

オンライン寺のエア寺で、毎週開催しているお話し会「いのちの会」で、9月のテーマとして「お彼岸」を挙げさせてもらいまして三週にわたってお届けしました。

テーマに取り上げるまで全然知らなかったのですが、お彼岸って、春分の日と秋分の日の前後3日ずつ、合計1週間が年に2回あるってことを39歳にして初めて知ったのでした。そういえばお昼にもお彼岸とかいうし、秋も言うけど、なんだろうって思ってたけど疑問が解決しました。スッキリ。


お彼岸というのは、春分の日、秋分の日とどちらも太陽がほぼ真西に沈むということで一年で最も西方浄土に近づく日、という意味で、「浄土が近づく時期にこそ」「先祖を供養すべしだよね」「そして俺らも修行すべしだよね」という意味合いで先祖供養の儀式と、六波羅蜜(仏教の修行)の実践をしたほうがいいねってことで時期を定めているとのことでございます。


六波羅蜜とは、六つのパーラミッタ(彼岸に至る修行)のこととされておりまして「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智恵」の6つあります。

「布施」とは施すことですが、お金と限ったことではなく、自分ができる施しを行うことを指しますので、和やかに過ごして人に嬉しい気持ちを与えるという意味では、笑顔で過ごすとか、人の話を聞くとか、人の悲しみを受け止めるといったことも十分な布施になり得るということになります。

「持戒」というと、なすべきでないことをしない、という決まりを守ることになりますが、元は「苦しみを生み出す原因をつくるな」ということでありまして、自分が苦しむ原因になることをやらない、その原因に近づかない、ということを実践することになります。

「忍辱」とは、耐え忍ぶことと解釈をされていますが、自分の思い通りにならないことがあっても、誰かのせいにして怒ったり嘆いたりすることを避ける、ことになりますので、そもそも人にせいにしないことや、そもそも思い通りになるという期待を捨てることもまた、忍辱を成し遂げる考え方の工夫と言えます。

「精進」とは努力をすることであり、あるがままを受け入れるということに甘んじすぎて怠惰になり、放逸する暮らしを続けるのではなく、自分に恥じることのない態度をとり、怠けたくなる心に負けず、しっかりと日々の暮らしを立てていくことだと解釈して良いと思います。

「禅定」とは、主には精神集中であり、瞑想を指すと考えて良いと思います。自分の暮らしの中に、自分を見つめ、存在そのものについて問いかけ、心を鎮めていく時間を持つということ。そのことで、身体、思考、感情のすべてを落ち着けていくことが大切だといえます。

「智恵」とは、真理に気づくことだと言われています。精神集中により落ち着いた身体、思考、感情がととのっているときに、不思議とひらめいて、気づくことができる直感的な真理。それがふとやってきて、それに気づき、また実はそれはずっと気づかないでいたけど、そこにはあって、いまもずっとそこにあり続けているのにもかかわらず、見ていないから気づいていなかっただけだった、という事実に気づいていくことだと言えます。


そうしたものに気づく時間を、この彼岸の時期に持つことが大事だよ、というふうに昔の人は定めたということです。そのことを伝えてくれている暮らしの上に、僕らの毎日はあるのだということに気づかされます。

すでにそこにあって、気付かれるまで、智恵はそこに存在していて、過去・現在・未来にわたってずっと存在をし続けるということ。それに気づきやすいのが彼岸であると、今年は気づかせてもらえました。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。