淡々と手応えのあることをする

感覚というのはインフレする。昔だったら、なんかすごいことさせてもらっていて恐縮だなあと思っていたようなことも、それが日常になってくるから不思議。

もしうまく回ってなかったり、そこで適応をできなかったりしたなら、ずっとそこには緊張感があり、ヒヤヒヤして不安いっぱいなのかもしれないが、幸いにも適応力がそこそこあるので、同じような経験にはきちんと対処できるようになっていく。(もちろん、事務作業は除く。)

あー、今日が終わるなあと思って、スッキリと風呂に入って、なんとなく、無事に一日が終わっていくことに余裕があるのは、とてもいいことだけど、それでも感謝する気持ちは持っていたいし、つい忘れがちだなと思う。

淡々とできているのは、関わってくれている人たちが、とても素晴らしいメンバーだからだし、一緒に関わってもらえているってことは当たり前なのではなく、ただたまたまそのご縁に預かっただけであって、自分が傲慢になっていい理由にはならない。良いご縁の中で生きられることを本当にありがたいと感じられる感性を持ち続けて生きていたいなと思う。


明日は朝から村の草刈。楽しいはずがない。けど、みんなでやるって、そういうことだな。そういうのも淡々とやっていくのだ。

急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。