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「ゲームで物語を語ること」の可能性を拡げた意義深い作品〜「To the Moon」レビュー

「でも、もし他の知性体とコンタクトしたとして、いったい何を話すんだ?」
「物語よ」
「物語?」
「(中略)そこにはヒトの本質がすべてある。ヒトは何を夢見ていたか。何を悩み、何を喜び、何に感動したかーそれはフィクションではあっても、現実の歴史より正しい」(山本弘「アイの物語」より)

いきなり大きな話から始めて恐縮ですが、我々人類の歴史と「物語」は、切っても切れない関係にあります。
インドネシアで見つかった、4万4千年前の洞窟壁画を例に挙げるまでもなく、人類はその黎明期から、物語を産み出し、表現し、それを他者に伝える営みを続けてきました。

口伝えや壁画から始まり、小説・演劇・映画・漫画など現在主流になっているものに至るまで、物語の表現形態は変化・発展を続けてきました。
そして、比較的新しいメディアであるビデオゲームもまた、その表現力が向上してゆくにつれて、物語を表現する媒体として存在感を高めていっています。

今回ご紹介する「To the Moon」は、「ビデオゲームを使って物語を語ること」の可能性を拡げた、意義深い作品であると思います。

1. 本作の概要

本作「To the Moon」は、Freebird gamesによってリリースされたインディーズゲームで、2011年11月にPC向けにオリジナル版が発表されました。
また、2020年1月16日には、Nintendo Switch移植版が、日本を含めた各国のデジタルストアで配信開始されました。

本作は、2DRPG制作ツールである「RPG Maker XP(RPGツクールXP)」で構築されており、1990年代の2D-RPGに近い外観を持っています。
主要な開発者は脚本と音楽を担当したKan Gao氏で、Kan Gao氏による個人作品の色合いが強い作品です。

本作を特徴づけているのは、練りこまれたストーリーと、そのストーリーを彩る美しい音楽です。

主人公は男女2人の医学博士です。
彼らは「クライアントが臨終間際になると、そのクライアントの脳内記憶を書き換え、あらかじめクライアントが指定していた『自分の人生で本当に叶えたかったこと』を、その臨終間際の記憶の中でだけ叶えてあげる」という事業をしている会社で働いています。
今回彼らは、「月に行きたい」という願いを指定していた老人のもとに赴きます。
臨終間際ですでに意識のない老人の深層心理にダイブすることで、「なぜ、彼は月に行きたいのか?」「どうすれば、月に行けるように彼の(脳内の)人生を書き換えられるのか」を探ることになります。
その過程で主人公たちは、彼の人生の秘密と「月に行きたい」という願いを持つにいたった真実を知ることになります。

Kan Gao氏によるメインテーマ曲「To the Moon」と、日系アメリカ人であるLaura Shigihara氏(ヒットゲーム「Plants vs. Zombies」の音楽を担当したことでも知られています)による挿入歌「Everything’s alright」は、いずれも印象的な場面で使用され、本作のストーリーに深い印象を与えることに成功しています。

2. 評論:物語を表現する媒体としてのゲーム

本作はビデオゲーム作品としては、かなり異色だと思います(2011年当時の基準であれば、なおさら)。

というのも、プレイヤーの操作によって展開が変わったりスコアを競ったりする「いわゆるゲーム的な要素」が、ほぼ存在しないからです。
本作がRPGツクールを用いて制作されていることは先述の通りですが、だからといって、敵と戦闘したりキャラクターを成長させたりといったRPG的なシステムはありません。
ゲームプレイは全て、製作者が用意したストーリーを追体験するために充てられます

確かに今までも、「ひぐらしのなく頃に」(07th Expansion、2002〜2005)のように、ゲーム内にプレイヤーが介入する余地が全く存在しない作品はありました。
ただし「ひぐらし〜」は、ゲーム内に仕掛けられた謎をプレイヤーが推理して、ネット上で議論を戦わせることを狙っています。
いわば「ゲームの外側にゲーム性が存在する」構造をもった作品なので、一本道の完結したストーリーを追体験する本作とは異なります。

このように、本作は製作者Kan Gao氏が考えた「物語」を伝えることに特化しており、プレイヤーが楽しんで遊べる「ゲーム」を提供するというよりは、物語を表現する手段としてビデオゲームを選択している、と言えます。

僕は、このような思い切った割り切りを行ったということによって、本作は意義深いものになっていると考えています。

例えば、あなたが自分の考えた物語を他者に伝えたいと考えたとき、どのように表現したらいいでしょう?
口伝えしたり小説として文章に書き記すことは比較的手軽ですが、ビジュアルイメージを伝えるには不十分です。
マンガを書いたり、(新海誠氏がそうであったように)個人でCGアニメを作ることも不可能ではありませんが、熟練と長い時間を必要とします。

一方で、既製のゲームエンジンやアセットを利用できるビデオゲームであれば、比較的手軽に、ビジュアルに富んだ物語体験を提供することができます。

本作は、RPGツクールで構築された素朴なビジュアルであっても深みのあるストーリーを語ることができる、そして「物語を語る」以外の要素を全て削ぎ落としたとしても人々に受け入れられる、ということを証明しています。

このように、「(個人が)物語を表現する媒体としてのゲーム」の可能性を、混じり気のないソリッドな形で提示して見せた点で、意義があると思います。

3. ビデオゲーム史における本作の位置付け

前の章では「個人が物語を語るメディアとしてビデオゲーム」という視点で、本作の意義を整理しました。
それでは、2011年に本作がリリースされたのち、本作のアプローチ(2D-RPGの外観を持った物語体験)は一般的になったのでしょうか?

その後の歴史を辿ると、本作自体は高い評価を得たものの、本作のアプローチは必ずしもインディーズゲームの主流にはなりませんでした。
本作の関連作品・続編(「A Bird Story」「Finding Paradise」)やLaura Shigihara氏による「Rakuen」があるものの、ジャンルを形成するには至っていません。

その一方で、「ビデオゲームで物語を語る手段」として主流になったのは、いわゆる「ウォーキングシミュレーター」、つまり、3Dベースの、精巧に再現された仮想空間を歩き回って物語を体験するタイプのゲームでした。

2012年にリリースされた「Dear Esther」とその後継作「Everything's gone to the Rapture」(The Chinese Room, 2012・2015)、そして「Gone Home」(Fullbright, 2013)「フィンチ家の奇妙な屋敷で起きたこと」(Giant Sparrow, 2017)など、高く評価される作品が生み出されています。

比較的小規模な個人作品としては、日本の田舎町をめぐる「Nostalgic Train」(畳部屋, 2018)や、Chilla's Artによる一連のホラー作品群(「事故物件」「夜勤事件」等)があります。

制作コストが比較的低いと思われる「To the moon」のスタイルよりも、3Dベースのスタイルの方が一般的になった背景には、Unityをはじめとする、高精細な3D画像を扱えるゲームエンジンが手軽に使えるようになったことがあると思います。
これによって、個人や比較的小規模なチームでも、一定以上のクオリティで3Dゲームを制作することができるようなったことが理由だと思われます。

しかしそれでも、「物語を語ること」に純度を高めたゲームの先駆けとして、本作には歴史的意義があると思います。
2011年にリリースされた本作は、2012年から始まったウォーキングシミュレーターの興隆と無関係ではなく、それらの作品と関連する重要作として位置づけられると考えます

4. まとめ

ここでは、2011年にオリジナル版がリリースされた「To the Moon」を評論しました。
本作の感想や評論というと、ストーリーそのものを論評する場合が多かったので、本稿では少し引いた立場から、「物語を語るメディアとしてのゲーム」という視点で、本作を位置付けを整理しました

本作は完璧な作品というわけではなく、擁護しづらい点もいくつかあります。

「物語を体験する以外の要素がほぼない」と書きましたが、実際には、物語の展開とは関係ない、中途半端なゲーム要素(「絵合わせパズル」や「モグラ叩き」)がほんの少しあります。これは、体験の純度を損なっていると感じます。

また、マップの入口・出口がわかりづらかったり、意図しない方向にキャラクターが動いたり、快適性を損なう挙動が少しあり、テンポを損ねています。

しかし、それらの点を差し引いても、本作には一見の価値があると感じます。
本作のストーリーは万人に受け入れられるというものではなく、本作が示す結論に拒否感を示す人もいるようですが、それだけ強度の強いストーリーであることには疑いがありません。

今年(2020年)、Nintendo Switchに移植されたことを機に、本作がより多くのプレイヤーを獲得することを願います。

2020.4.5 Itaru Otomaru

(了)

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