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成長の4段階を再考する

フランクリン・コヴィーの「7つの習慣」の中に登場し、人のスキル開発の中で定説のようになっている考え方に「成長の4段階」というのがあります。4段階とは、無自覚の無能自覚せる無能無自覚の有能、そして自覚せる有能であり、この順番で能力を獲得して成長してゆくと説かれています。

理に叶っているようにも思いますけれど、昨今の脳科学的に解釈をし直すと必ずしもこの順番通りには進まないかもしれない、とも考えることができます。

一段階ずつ見直しながら再考をしてみたいと思います。

第一段階:無自覚の無能

新しい能力を獲得する最初の段階がここからだそうで、何をしたら良いのかわからない、何がわからないのかもわかってない状態です。ゆえに自分に能力があるかどうかがわからないですし、そのような能力自体が世の中にあることすらわかっていないかもしれません。
言い換えると「能力」ということ自体に自覚がない状態なのかも。

この状態でもモチベーションが高い人は行動に走ることができます。自分自身が能力がないことが分かっていないので「なんとかなる」とか思って突撃することになるのです。それでたまたま運が良くてうまくいく場合もあれば玉砕することもあるでしょう。側から見るとそれは「勘違いしている痛い人」に映るかもしれませんね。

うまくいく理由もうまくいかない理由もわからないので、自分が何ができていて何ができてないのかが分かっていない…それが自分の能力がない(無能)を自覚できていないということになるようです。

第二段階:自覚せる無能

無自覚の無能の状態の人が、手痛い失敗をしたり他者からのフィードバックを得るとそこで初めて自分は「できていない」、つまり自分の無能を自覚することになります。

しかし、この段階ではどうすれば無能から抜け出すことができるかはまだ分かっていません。単に、自分のやっていることは結果を出すことにつながっていないことがわかったというだけです。
やり方を変えなくてはいけないことは理解したと言うことでもあるので、行動を変えるモチベーションはある状態といって良いのかもしれません。

ちょっとここであれ?と思えるのは、何の能力が足りないのかの特定はできていない状態であるというところでしょうか。この状態を「無能と自覚している」と言っていいのかどうか、いうところでして、私はちょっと疑問に思うところです。

第三段階:無自覚の有能

自分ができていないことがわかると、そこから人は試行錯誤に入ります。結果を出すために色々と試して行くうちに、なんとなく感覚的にできるようになってゆくようになります。

この状態を無自覚の有能と呼ぶそうです。まだなんでできているのかがわかっていないので「無自覚」なのだそうです。無自覚であるが故に結果に再現性がなく、うまくいく時といかない時のムラがあったり、人に説明をすることができないのだと言われています。また環境要因によって条件が変わってしまうと途端に今までうまくいっていたことがうまくいかなくなり、成績が落ちてしまったりします。

この無自覚の有能で興味深いのが、「やり方を誰からも教わらずに自分で試行錯誤のうちに身につける」というスキル獲得にあたっての隠れた前提があるように見えるところです。現実の社会では、OJTや研修などで成功するやり方を教わったり見本を見たりして、その通りに自分ができてないことを知り、教わった通りにできるようになることでスキルと獲得しているのではないかと思います。
少なくとも「能力」として定義できるようなものに関しては。

最終段階:自覚せる有能

ともあれ無自覚の有能の人が、自分が何をしているから成果につながっているのかを理解しそれを意識的に繰り返して成功を反復することができるようになるとそれが自覚せる有能になると言います。
自分が意識的にコントロールしながら行動できるだけでなく、理由がわかっていれば人に説明することも指導することもできるようになる、とも言います。

また、何に有能だから成果が出ているのかがわかっていれば、それが機能しなくなってしまうときもわかるはずで、そうなった時に機能しなくなったやり方にしがみつくのではなく、新たなやり方や能力を獲得しにいくことに先んじることができるということもありそうです。そういう先見性は有能の証ですよね。

段階の逆転現象

ここまで見てきて、一見よくできているように感じられるのですが、形式知になっていない暗黙知的なスキルの獲得について述べられている四段階のように私には感じています。
実際には伝承や教育可能な形式知化されているものもあるわけで、それらでは第三段階と第四段階は逆転するのではないでしょうか。
つまりこういうことです。

第二段階で自分ができていないことに気づいた人は、できるための方法を繰り返し実践してやがてそれを身につけることになります。そのやり方やスキルを練習し自分自身でコントロールして使いこなせるようになると、その時点で自覚せる有能になるはずである、と。
そして、それから先にその状態を繰り返していると、自分が意識しないでも自覚しなくてもそれが習慣に変わっていって、無自覚・無意識に能力を発揮して結果を出している状態、つまり無自覚の有能になるのではないでしょうか。

脳科学的な説明をするならば、頭(実際には大脳新皮質)で考えて行っていたことが繰り返されるうちにオートパイロット(自動反応)になり、考えないでも体が覚えてしまっていてそのように動くような状態になるということです。
ダニエル・カーネマンが「ファスト&スローあなたの意思はどのように決まるか(原題:Thinking, Fast and Slow)」いうところのシステム2(スローブレイン=思考する脳)で考えてやっていたことがシステム1(ファストブレイン=オートパイロットの脳)でできるようになってくるということです。

このオートパイロットがベースにありながらも、そのオートパイロットは自覚的に学習した後に作られたものであるが故に、再構成やデザインのし直しが可能であり、後からアップデートやアップグレード、言い換えれば学習による組み替えができるということでもあります。
つまり、常に意識的に全部をコントロールしようとしてやってるわけではなく、状況に応じてオートパイロットでうまくいかないところを補い、プログラムを書き換えることができるような状態であるということかと思います。

マルコム・グラッドウェルが「天才!成功する人々の法則(原題:Outliers)」で、10,000時間の法則というのを言っています。何かに関して人よりも秀でてできるようになるためには10,000時間の継続して練習する必要があるということのようです。どんなことを、どのレベルからどのレベルまで持って行くかによってかかる時間は違うのだろうとは思いますが、おそらくマルコムの言う成功する人たちは一度、自覚せる有能から無自覚の有能にいってオートパイロットを獲得し、成功のためのOSを都度作り直すのではなく、簡単なアップグレードで更新し続けることができるようになった人たちのことではないかな、と私は考えています。

成功の4段階については、他の考え方もきっとあると思います。
これらの段階の順番をどのように経由してゆくのかは、置かれている状況やその人の性格によっても変わってくるかもしれません。自覚してできるにしても無自覚でできているにしても、どちらが良いとか悪いとかはおそらくないのだと私は思っています。

世の中が複雑化し次々と状況が変化してゆく現代では、正解や必勝法はそもそもなく、自覚的に考えてコントロールすべきところを絞り込む必要はあるだろうとは思います。全てを熟慮しながら行ってゆくのは非現実的です。だからこそ、無自覚・無意識にできるところ、オートパイロットで動かせるところは必要かなと思います。
もしかしたら、そこの部分は近い未来にロボットやAIに置き換わってゆくことになるのかもしれませんが、仮にそうなったとしても、それをアップグレードし続けることができるのは、「無自覚の有能」という自分の中のオートパイロットをプログラミングしている私たち自身なのではないでしょうか。

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