剣士の詩

剣士の詩

ナレーター:窪田等
詩人:山路和弘
大男のアントン:大友龍三郎

今から三百と数十余年前はるか西、今のドイツにあたる地に、1人の詩人がおりました。
彼はリュートというアボカドの実を縦に割った様な胴に棹のついたギターやバンジョーに似た楽器を弾き鳴らしながら、こんな詩を詠みました。

トゥーラタッタトゥーラタッタズンチャカチャ
トゥーラタッタトゥーラタッタズンチャカチャ

"彼の者剣豪アンドレアス
ドイツ一の大剣豪
彼はまるで影の様に素早くサクソンを3日で横断した
彼の舞の様な身躱しに 狼でさえ牙も爪も届かない
彼の剣は流れ星よりも速く誰も刃を見た事ない
彼が巻藁を斬ったなら 巻藁は斬られた事に気付かず立ったままに四切りに
嗚呼剣豪アンドレアス ドイツ一の大剣豪"

こんな感じで街から街へ流れては、アンドレアスという剣士の詩を詠んでいました。

しかし、この詩には1つおかしな所がありました。
詩人の彼以外に剣豪アンドレアスを誰も見た事が無いという事です。
そう、皆彼の詩以外にアンドレアスを全く知らないのです。

詩を聴いたある者は
「きっとただの作り話だ、剣豪アンドレアスなんて奴は存在しない架空の人物だ」と言い

ある者は
「きっとアンドレアスは腕がたつからきっと貴族か王家に仕えているんだ、民の知らない戦場で腕を奮っているに違いない」と想像し

ある者は
「アンドレアスは戦いで散っていった戦士達の怨念の結晶だ、だから彼に出会った者の殆どが命を奪われているんだ」と恐れました

皆が口々に噂や予想を言ったが結局アンドレアスが何者か知らず、件の詩人に聞いても
「それは勿論詩にある通りの人物です。私の詩は脚色はあろうとも嘘は無い」と言うばかりでそれ以上は何も人に教えませんでした。

ある日の月の青い夜の事、詩人は大きな街で一番人気の多い酒場でいつもの様にアンドレアスの詩を2つ3つ程詠んでいました。
そこへ1人の大男が酒場へ入って来ました。
大男はその店の中でも一番大きく、背は入口の戸を通るのに深く腰を曲げねばならず、肩幅は両肩にビアジャグが2つずつ乗りそうな程広く、丸坊主の頭に付いた顔は傲慢に満ち溢れていました。

大男は肩で風を切るというより、風を起こす勢いでいからせながらドッカドッカと歩いてテーブルにつきますと腰の長剣がガタリと床に付きシャンデリアのロウソクで煙草に火を付けて、薄灰色の煙をゆっくり吐きました。

皆が大男に注目しましたが、詩人だけは構わずにアンドレアスの詩を読みました。

トゥーラタッタトゥーラタッタズンチャカチャ
トゥーラタッタトゥーラタッタズンチャカチャ

"彼の者剣豪アンドレアス
ドイツ一の大剣豪
彼の剣技は疾風迅雷 それは大鷲の爪の如し
彼の剣は川を断ち 岩を切って 木の葉をくり抜く
彼が1つ踏み込めば ライン川も濡れずに越える
嗚呼剣豪アンドレアス ドイツ一の大剣豪"

それを聴いた大男は、またドッカドッカと歩いて詩人に近付くと口の端が耳につきそうな程口角を上げて、詩人にこう言いました。

「俺様は大剣豪アントン俺様こそドイツ一の大剣豪よ、なぁ詩人、そんな居もしない棒振りより、俺様を詩にしてみせよ」

アントンはフンッと鼻息を大きく1つついて詩人に言いますが、彼を首を横に振ります。

「いいえ、アンドレアスは居もしない棒振り等ではありません、彼は紛れも無くドイツで一番の剣の使い手です。アナタもさぞお強そうですが、彼には今ひとつ及びません」

詩人がこう言うとアントンはあからさまに顔をしかめて不機嫌になると、両手剣の様に長い剣を片手で引き抜いて詩人の目前で一振りしてみせました。
その一振りが起こす風圧に酒場のロウソクの灯りは驚いた様にビクリと揺れ、窓は寒がる子供の様にカタカタ小さく揺れました。

「どうだ詩人、今の一振りが見えたか、これでもまだ、俺では1歩及ばぬと言うか」

アントンの問い掛けに、詩人はまた首を横に振りました。

「失礼しました、確かにアナタの剣は力強い、ただそれまで、私は彼のあまりにも疾い剣技に刀身を見れた事は1度もありませんが、アナタの剣はよく見える。アナタでは1歩どころか十歩も百歩も届いておりません」

その答えにアントンは坊主頭を蛸の様に真っ赤にして怒り、酒場の中の者達は本来止めるべき衛兵でさえわなわなと震えていました。

「ええい、たかが詩人の分際で不快な奴め、切り捨ててくれる」

アントンは詩人を縦一文字に切り捨てようと剣を振り下ろしたその時、キィンと金床を叩いた様な音が店中に響きわたると共に、2人の位置から旋風が起きました。
その風に店中のロウソクから台所の炉に至るまで全ての灯りが消え去り、酔って千鳥足の者はよろけたり倒れたり、窓は恐れ慄く様にガタガタ大きく揺れました。

酒場の皆が詩人の死体を確認をする為慌てて灯りを灯すと、そこにはなんとアントンが血塗れで横たわっていました。

皆は詩人を探しますがどこにもいません。

「詩人が消えた、奴を探せ」

彼を探して酒場の外に慌てて出る人々を、詩人は屋根の上から眺めて首をすくめます。

「いやはや参った、余りに今宵の月が青いばかりにいささか興がのってしまった。
月が高いうちに街を出よう、朝焼け頃には他所の領に出られる筈」

詩人はそう言うと、屋根から屋根へと飛び回り‎、あっという間に街から姿を消してしまいました。

彼の名はアンドレアス
ドイツで一番の大剣豪にして
自分の詩を詠む詩人
これは彼にとってはなんて事の無い詩の一節のお話

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