サルトル『嘔吐』を読んで

読む前のイメージよりぜんぜん興味深く、楽しい体験だった。 主人公の歴史家ロカンタンが存在に対する違和感から〈吐き気〉を感じつつフランスの港町を彷徨するというあらすじだが、筆致は時に詩的で、エピソードも強い印象を残すものが多く、飽きさせない。 前半はメモをとりつつじっくり読んだが、後半は内容が思想的かつスリルに富んだものとなり、ついつい一気呵成に読んでしまった。 既成作品・ジャンルの辛辣なパロディー、グロテスクなユーモアが随所にあり、難解かつ深刻な内容ながら笑い袋を刺激された。そもそもの結構が、鬱屈とした独り身の男の混乱した奇妙な独白と考えるとむしろ愉快でさえある。 まるで映画の一場面のようなアニーとの対話、〈吐き気〉から見たあらゆる存在が混在した奇怪な世界のヴィジョン、滑稽かつ悲惨な独学者の顛末、明るく快活な海辺と暗く湿った陰鬱な裏路地をゆく場面の対比、一見とるにたらない情景を強靭な思索の端緒に変える魔術的な視点と文体など、見どころは多々あるが、総じて何か忘れがたいもの、作中でいうところの「ひとつの観念」、または〈吐き気〉、あるいはふてぶてしい存在というものの手触りを否応なく体験させてくれることは間違いない。 決して期待を裏切ることなく、また予想を裏切って魅力的な小説だった。

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