「お金は裏切らない」 は本当なのか気になりました

さっき「お金は裏切らない」という言葉を耳にしました。
よく聞くけど本当なの?ってのが気になったので考えていこうと思います。


まずは前提を確認しましょう。
「お金が裏切る」とはどういう事象かを定義しないことには、お話は進みません。

うら‐ぎ・る【裏切る】 の解説
[動ラ五(四)]

1 味方に背いて敵方につく。「同志を―・る」

2 約束・信義・期待などに反する。「信頼を―・る」「おおかたの予想を―・る」

goo辞書

お金には敵も味方もありませんから、1の意味では不適切ですね。同様に、お金が誰かと約束を結ぶことはありませんから、2の意味の中でも特に「期待などに反する」に該当した場合に「お金が裏切った」と定義することにしましょう。

さて。
お金による裏切りは使用者の期待に反することと定義したため、このままでは裏切るか否かは期待する側の人間に依存してしまいます。つまり「100円あれば自動車が買えると思ったのに!」と主張する人間が現れた場合、お金はその人を裏切ることになります。この時点でお金は裏切る説が立証されてしまいますが、こんな結論で納得してくれる人はそういないと思われます。

なのでここから先は「ある金額に一般に期待されるであろう役割を果たさないこと」を裏切りの条件として付け加えたいと思います。

お金というものはその性質として、信用を可視化したものであると言えるでしょう。その信用がある時代や地域では効果を発揮するもので、その信用がなくなると果たすべき役割を果たせなくなります。

我々が日本円をためらいなく信用できるのは、日本に住む人間のほとんどが日本円を信用しているためです。そして、通貨の信用は国家への信用によって成り立っています。国が認めることによって信用を得ている紙切れですから、仮に日本政府が潰れた場合、円の価値は暴落するでしょう。同じように、日本を知らない人からすると円を信用できないわけですから、1万円札よりもりんご1個の価値の方が高かったりします。

これらの理由で通貨が信用されない状況が存在しうる限り、お金は期待分の働きをしてくれない可能性があるので、裏切りがあると考えてよいと思います。これらの状況にならず(あるいは除き)、お金で買えないものがあることを承知の上で「お金は裏切らない」と言うのであれば、話している階層が違うね、という話になりますね。

お金に限らず、物の価値というのは相対的・流動的なものであり、人や時代や状況によって変化するものです。砂漠で遭難したとき、欲しいのは1億円よりも水だろうと思うのです。通貨であれば国そのものと同等の信用度があるので、基本的には司法かそれ以上に信用できるものと思っていても問題ないかもしれません。ただし、そうでない場合が意外とあるよ、というのは常に意識しておきたいポイントです。

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