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家庭内モンスター

僕が小学四年生だったとき、兄は六年生、弟は一年生だった。

全員男ということもあり、同じ遊びに熱中する時期はたびたび訪れた。

当時はまっていたのは、ゲームボーイの「北斗の拳」だった。
互いに向き合って戦う、2D格闘対戦ゲームだ。
二台のゲームボーイをケーブルでつなげば対人戦もできるし、一人でコンピューターと戦うこともできた。
一人プレイで相手を倒すと、アルファベッドと数字を組み合わせた14文字のパスワードが表示され、対人戦をする前にそれを打ち込めば、強くなった状態で戦うことができた。
つまり、一人プレイをやればやるほど、対人戦が有利になるという仕組みだ。

年齢差はあれども、はじめうちはどっこいどっこいだった。
パンチ、キック、ジャンプ、遠距離攻撃のオーラと、複雑さはいっさいない、シンプルなゲームだったからだろう。

負けると悔しくなって、一人プレイで武者修行をし、キャラクターを強くした。
僕が勝つと、こんどは負けた相手が僕にリベンジするために、一人プレイに励むこととなった。

勝つために、また勝ちつづけるために、それぞれが努力を惜しまず、大局的に見ればどっこいどっこい、という状態は変わらなかった。

鍛錬の証であるパスワードは必ずメモを取り、兄にも弟にも決して見せなかった。二人も同じく、パスワードはどこかに隠していた。

ある日、兄のほうから対戦を挑んできたので、喜んで受けて立った。
しかし対戦がはじまってみると、いつもの兄ではないことがすぐにわかった。

一発の重みが違う……!

兄の操るカイオウの攻撃力が、飛躍的に上がっているのだった。
一撃喰らっただけでも、僕のファルコの体力ゲージは、大きく削られてしまった。
それだけではない。防御力も上昇しているらしく、ファルコが攻撃を加えても、カイオウのゲージはわずかしか減らないのだ。

あっという間に、ファルコは叩きのめされてしまった。

「何だこれ! まるで歯が立たない……」

いったいどれだけ鍛錬すれば、ここまで強くすることができるのだろうか。しかし、兄だけが特別一人プレイに打ち込んでいたわけではなかった。
まさか、パスワードを盗み見られたのか? いや、自分がこうしてやられたのだから、それもない。

「こんどはオレとやろう」
弟が、兄に闘いを挑んだ。子供特有の「レ」というイントネーションだった。

僕は弟の画面を覗き込み、プレイを観戦した。

やはり兄のカイオウは圧倒的に強く、弟のケンシロウはみるみる体力を削られていく。

これは闘いではない。折檻だ。
僕はカイオウの強さに恐怖した。

「なんでだ! なんでだ!」
弟はしきりにその言葉を繰り返していた。

無論、ケンシロウは敗北した。

その後も交代交代、兄に勝負を挑んだが、僕たちは何度やっても勝てなかった。兄は終始、けらけらと笑っていた。

弟たちの悶え苦しむ様は充分に堪能したとでも言うように、兄は笑いを止めると、信じがたい言葉を口にした。

「パスワードを解いたんだよ」

兄はパスワード入力画面に14文字を打ち込むと、僕たちに見せてきた。

そんな、馬鹿なことが……。

試しにそのままスタートボタンを押し、弟と闘ってみた。
やはり、圧倒的に強い。
こんどは弟がそのパスワードを使い、僕は自分のパスワードを入力して勝負した。
弟の圧勝だった。

検証の結果、僕は確信した。

間違いない。兄は、最強のパスワードを解読したのだ。

「すげー!」
「マジかよー!」

僕と弟は興奮して兄を褒めたたえたが、兄はもう別のことをはじめていた。

興奮が収まってくると、まるでそれが防波堤だったかのように、恐怖の波が押し寄せてきた。

僕たちは、とんでもないモンスターと一緒に暮らしている……!

それ以来、兄が「北斗の拳」で遊んでいる姿を見ることはなかった。
ひょっとしたら、彼だけ別のゲームを楽しんでいたのかもしれなかった。

兄は高校三年生のとき、東京大学を受験し、合格した。
両親を含め、周囲の人間は「すごい、すごい」と兄を持てはやしたが、僕には何の意外性も感じられなかった。

小六にして、ゲームのパスワードの法則を見抜くような人間に、入れない大学があるほうが不思議だ。

たまに兄の学歴を知った人が、「そういう血筋なんだね」と僕に言ってくれることがある。だがそんなものはないと明確に否定しておく。
現に弟の学力は壊滅的だった。

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