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当用漢字表の意義
第二次世界大戦後日本に駐留したアメリカは、全国の道路標識や駅名をローマ字で表記するようにと指導しました。漢字を書き言葉としては全廃し、いずれローマ字に転換するように指導しようと考えていたと言われています。アメリカがそうする前に、日本が当用漢字表を設定し、ローマ字化を抑える役割を果たしたと言えます。
日本庶民の間では、当時「当用漢字ないない尽くし」という戯れ歌が流行ったといいます。
「目はあっても瞳はない、鼻はあっても頬はない、額はあっても顎はない、犬はあっても猫はない、鶏はあっても兎はない、馬はあっても鹿はない云々」
また1948年アメリカの提案で日本人の読み書き能力調査が行われたのですが、15歳~54歳の17000人が対象の調査で漢字が読めないと判断されたのは2.1%だったそうです。
アメリカの予想に反して、当時の日本人によく漢字が浸透していたことがわかります。一方で実態を調査したうえで、その結果に従って施策を決めていこうとしたアメリカにもフェアなところがあったようにも見受けられます。
一方で、小説家の志賀直哉は、日本語を廃止し世界で一番美しいフランス語を国語とせよと主張したそうですし、読売新聞も社説で漢字を廃止せよと主張していたそうです。
当時であれば、漢字があるとタイプライターを使うことが出来ないという議論もあったでしょう。これについては、福田恒存が「私の国語教室」次のように論破しています。
タイプライターのためなどとは愚論です。なるほど過渡的には商用文にかな文字やローマ字を持ちいることもいいでしょう。が、月までロケットが届く時代です。軍拡競争が少し下火になれば、今日の漢字かな文でも十分に消化しうる機械が発明されないとは限りません。現に当用漢字数を上回る二千字の漢字が繰れる機械が出来ているそうです。(中略)慌てて現在の道具に合わせて国語国字を改造する手はないのです。時枝博士ではないが、「文字を使うということは、機械に制限されて使うのではなくて、機械がもし必要ならば、その文字の実情に応じて、新しい機械を発明するということが必要であります。」(引用終了)
福田恒存は、「当用漢字」「現代仮名遣い」についてもその不合理を指摘する急先鋒でしたから、「当用漢字」も本文章が従っている「現代仮名遣い」もまったく気に入らないでしょう。亡くなったのは平成6年ですから、ワープロの発達には「それ見たことか」と思ったでしょうが、今若者たちがスマホを繰る様をみたら、どんな感想を漏らしたでしょうか。