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山本夏彦翁の「君子多忙」

noteを書き続けるうえで、軽快な文章のリズムを身に着けたいと思うのですがが、私の好みといいますか尊敬具合からいって、山本夏彦のコラムを数多く読むに限ると思っています。もちろん、私などが行き着けない境地であることは十分承知ですが、学生時代からほとんどの発行されている山本夏彦の単行本・文庫本を読んできた「経験」の中で、読んでいるとそのリズムが一部乗り移ることがあるのです。

ということで、少しずつでも読み直しているのですが、リズムだけでなく内容も面白いのです。以下「君子多忙」の引用。

今は昔の、たとえば明治時代の、五倍はいそがしいと、かねがね私はにらんでいる。
五倍というのは、ものの譬えである。人によっては七倍、あるいは十倍いそがしかろう。とにかく、ただもう、滅法いそがしい。

五倍いそがしくても、収入は五倍になるわけではない。つまりは損だというのが、私の持論である。いそがしいのをいいことだと自慢してはいけない、ほんとうは悪いことなのだと、私は人ごとに説くが、誰も耳を傾けない。(中略)

どうして、こんなにいそがしいか。理由は簡単である。交通機関が発達したせいである。
つい六十年前までは、誰しも歩いて用を足した。だから、芝から浅草まで行くにも一日がかりだった。(引用終了)

山本夏彦がコラムを連載していた、「室内」という雑誌が創刊されたのが昭和30年であるから、このコラムはその頃書かれたものでしょう。

その頃でも「とにかく、ただもう、滅法いそがしい」かったのですが、それは比較論でしょう。今はもう、どうでしょう?その100倍はいそがしい?理由は簡単である。通信網の(IT技術)の発達したせいである。

今でも「忙しいのは悪いこと」という人はいます。「忙しいとは心を亡くすと書く」と。山本夏彦は「忙しい」を使わず「いそがしい」を使っています。これは何か意味があったんでしょうか。

この「君子多忙」のコラムに、文章のリズムのお手本があります。以下引用。

まあおあがり、ということになる。あがれば茶が出る、菓子が出る。先方が先方なら、こちらもこちらである。用件は後回しにして、まず床の間の一軸でもほめている。時分どきになればーこれはもうなるにきまっているー酒が出る、ごはんが出る。遅くなったら、今晩はとまっていけとすすめられる。そこでとまる。(引用終了)

とんとんとんと軽快なリズムで言葉を繰り出し、要を得て簡潔。その情景が生き生きと映し出されます。名人芸です。まねしたい・・・。