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「中庸に学ぶ」伊與田覺著を読む

中庸は難しいので、何か解説書がないかとアマゾンで昨日「ポチっ」としたら今日届きました。早速読んでみました。

(18P)
物の存在を表す概念に、形而上と形而下という分け方があります。我々が五感で感じ取れる形あるものを形而下といい、形而上は形を超越した目に見えない、耳に聞こえない精神的なものを指します。

形而上のものは具体的な姿が見えないだけに、その存在を理解することはなかなか難しい。ところが、「中庸」を読むと、この声なき声が聞こえ、形なき形が見えるようになり、ものの真価が分かるようになる、といわれています。
(中略)

こんこんと湧いてくるもの、これが「智慧」です。その智慧を働かすと「中庸」は分かるようになります。反対に知識だけで理解しようとすると「中庸」は大変、わかりにくい。

したがって、できる限り自分が本来もっている智慧を発揮して読んでください。智慧を発揮する第一歩は、自分が素直になることです。自我や私見を捨てると本当の自分が現れてくる。そうして読むと、「ああ、そうだ」と納得が得られるのです。ところが知識だけを頼りに読むと、「どうも納得いかない」「何をいわんとしているか分からない」ということになりかねません。
(引用終了)

私は「7つの習慣」を座右の書としています。この本には「原則」が大事で、「原則にのっとって生きていけば成功する」と書いてあります。そしていくつかの原則とその原則にのっとって生きていくための7つの習慣が明記されています。とてもわかりやすい。

「中庸」にも原理があるといいます。

(中庸章句 安岡正篤著 127P)
そこで中庸とはどういうことか。時代だとか、階級だとか、何だとか、いうようなものに関係なく、一切に通ずる、すべての人に通ずる、恒に変わらざる進歩向上、とこういうことになるわけでありまして、即ちすべての人が如何に変わらずに、相待って和やかに、調和を保って、進歩向上してゆくか、その原理を説いておるのがこの「中庸」である。
(引用終了)

なので、本文からその原理を読み取ろうとするのですが、これがなかなかすんなりといきません。

「原理が書いてあるはずだからその原理を探す」というのは、「知識だけを頼りに読む」ことになるのかもしれません。「中庸」を読むには、もっと自分に素直になって、自我や私見を捨てて、自分が本来持っている(はず)の智慧を発揮して読むことが必要なのかも。